》けねばならぬものであった。
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詩を書いていた時分に対する回想は、未練から哀傷《あいしょう》となり、哀傷から自嘲《じちょう》となった。人の詩を読む興味もまったく失われた。眼を瞑《ねぶ》ったようなつもりで生活というものの中へ深入りしていく気持は、時としてちょうど痒《かゆ》い腫物《はれもの》を自分でメスを執《と》って切開するような快感を伴うこともあった。また時として登りかけた坂から、腰に縄《なわ》をつけられて後ざまに引き下《おろ》されるようにも思われた。そうして、一つ処にいてだんだんそこから動かれなくなるような気がしてくると、私はほとんど何の理由なしに自分で自分の境遇そのものに非常な力を出して反抗を企てた。その反抗はつねに私に不利な結果を齎《もたら》した。郷里《くに》から函館《はこだて》へ、函館から札幌《さっぽろ》へ、札幌から小樽《おたる》へ、小樽から釧路《くしろ》へ――私はそういう風に食を需《もと》めて流れ歩いた。いつしか詩と私とは他人同志のようになっていた。たまたま以前私の書いた詩を読んだという人に逢って昔の話をされると、かつていっしょに放蕩《ほうとう》をした友だちに昔の女の話をされると同じ種類の不快な感じが起った。生活の味いは、それだけ私を変化させた。「――新体詩人です」といって、私を釧路の新聞に伴れていった温厚《おんこう》な老政治家が、ある人に私を紹介した。私はその時ほど烈しく、人の好意から侮蔑を感じたことはなかった。
思想と文学との両分野に跨《またが》って起った著明な新らしい運動の声は、食を求めて北へ北へと走っていく私の耳にも響かずにはいなかった。空想文学に対する倦厭《けんえん》の情と、実生活から獲《え》た多少の経験とは、やがて私しにもその新らしい運動の精神を享入《うけい》れることを得しめた。遠くから眺めていると、自分の脱けだしてきた家に火事が起って、みるみる燃え上がるのを、暗い山の上から瞰下《みおろ》すような心持があった。今思ってもその心持が忘られない。
詩が内容の上にも形式の上にも長い間の因襲を蝉脱《せんだつ》して自由を求め、用語を現代日常の言葉から選ぼうとした新らしい努力に対しても、むろん私は反対すべき何の理由ももたなかった。「むろんそうあるべきである」そう私は心に思った。しかしそれを口に出しては誰にもいい
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