ある。無論自分は、かの妻君の頭痛一件まで持ち出したのではない、が、自分の言葉の終るや否や、或者はドンと一つ床を蹴つて一喝した、『校長馬鹿ツ。』更に他の聲が續いた、『鰻ツ。』『蒲燒にするぞツ。』最後に『チェースト』と極めて陳腐な奇聲を放つて相和した奴もあつた。自分は一|盻《げい》の微笑を彼等に注ぎかけて、靜かに歩みを地獄の門に向けた。軈て十五歩も歩んだ時、急に後《うしろ》の騷ぎが止《や》んだ、と思ふと、『ワン、ツー、スリー、泥鰻《どろうなぎ》――』と、校舍も爲めに動く許りの鬨の聲、中には絹裂く樣な鋭どい女生徒の聲も確かに交つて居る。餘りの事に振向いて見た、が、此時は既に此等革命の健兒の半數以上は生徒昇降口から風に狂ふ木の葉の如く戸外へ飛び出した所であつた。恐らく今日も門前に遊んで居る校長の子供の小さい頭には、時ならぬ拳《こぶし》の雨の降つた事であらう。然し控處にはまだ空しく歸りかねて殘つた者がある。機會を見計つて自分に何か特にお話を請求しようといふ執心の輩《てあひ》、髮長き兒も二人三人見える、――總て十一二人。小使の次男なのと、女教師の下宿して居る家の兒と、(共に其縁故によつて、校長閣下
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