の上に飾つて、そして其花と黒玉を手向《たむ》けたんです。…………其時の事は、もう何とも口では云へません。殘つたのは母一人です、そして僕は、二百里も遠い所に居て、矢張一人ポッチです。』
 石本は一寸句を切つた。大きい涙がボロ/\と其右の眼からこぼれた。自分も涙が出た。何か云はうとして口を開いたが、聲が出ない。
『その晩は一睡もしませんでした。彼是十二時近くだつたでせうが、線香を忘れて居たのに氣が附きまして、買ひに出掛けました。寢て了つた店をやう/\叩き起して、買ふには買ひましたが、困つたです、雨が篠つく樣ですし、矢張風呂敷を被つて行つたものですから、其時はもうビショ濡れになつて居ます。どうして此線香を濡らさずに持つて歸らうかと思つて、藥種屋の軒下に暫らく立つて考へましたが、店の戸は直ぐ閉るし、後は急に眞暗になつて、何にも見えません。雨はもう、轟々ツと鳴つて酷《ひど》い降り樣なんです。望の綱がスッカリ切れて了つた樣な氣がして、僕は生れてから、隨分心細く許り暮して來ましたが、然し此時位、何も彼もなくたゞ無暗にもう死にたくなつて、呼吸《いき》もつかずに目を瞑《つむ》る程心細いと思つた事はありま
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