壞の激浪も消し難き永久不磨の金字で描かれるであらう。疑ひもなく此二時間は、自分が一日二十四時間千四百四十分の内、最も得意な、愉快な、幸福な時間で、大方自分が日々この學校の門を出入する意義も、全くこの課外教授がある爲めであるらしい。然し乍ら此日六月三十日、完全なる『教育』の模型として、既に十幾年の間身を教育勅語の御前に捧げ、口に忠信孝悌の語を繰返す事正に一千萬遍、其思想や穩健にして中正、其風采や質樸無難にして具さに平凡の極致に達し、平和を愛し温順を尚ぶの美徳餘つて、妻君の尻の下に布かるゝをも敢て恥辱とせざる程の忍耐力あり、現に今このS――村に於ては、毎月十八圓といふ村内最高額の俸給を受け給ふ――田島校長閣下の一言によつて、自分は不本意乍ら其授業を休み、間接には馬鈴薯に目鼻よろしくといふマダム田島の御機嫌をとつた事になる不面目を施し、退いて職員室の一隅に、兒童出席簿と睨み合をし乍ら算盤《そろばん》の珠をさしたり減《ひ》いたり、過去一ヶ月間に於ける兒童各自の出缺席から、其總數、其歩合を計算して、明日は痩犬の樣な俗吏の手に渡さるべき所謂月表なるものを作らねばならぬ。それのみなら未《ま》だしも、
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