山は激しい聲で、
『校長さん。』
と叫んだ。校長は立つた。轉機《はずみ》で椅子が後《うしろ》に倒れた。妻君は未《ま》だ動かないで居る。然し其顏の物凄い事。
『彼方《あつち》へ行け。』
『彼方へお出なさい。』
 自分と女教師とは同時に斯う云つて、手を動かし、目で知らせた。了輔の目と自分の目と合つた。自分は目で強く壓した。
 了輔は遂に驅け出した。
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そびゆる山は英傑の
跡を弔ふ墓標《はかじるし》、
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と歌ひ乍ら。他の兒等も皆彼の跡を追うた。
『勝つた先生萬歳』
と鬨の聲が聞える。五六人の聲だ。中に、量のある了輔の聲と、榮さんのソプラノなのが際立《きはだ》つて響く。
 自分の目と女教師の目と礑《はた》と空中で行き合つた。その目には非常な感激が溢れて居る。無論自分に不利益な感激でない事は、其光り樣で解る。――恰《あたか》も此時、
 恰も此時、玄關で人の聲がした。何か云ひ爭うて居るらしい。然し初めは、自分も激して居る故《せゐ》か、確《しか》とは聞き取れなかつた。一人は小使の聲である。一人は? どうも前代未聞の聲の樣だ。
『……何云つたつて、乞食《こ
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