と思ひまして、實は明日唱歌の時間にはあれを教へようと思つたんでしたよ。』
これは勝誇つた自分の胸に、發矢《はつし》と許り投げられた美しい光榮の花環であつた。女教師が初めて口を開いたのである。
二
此時、校長田島金藏氏は、感極まつて殆んど落涙に及ばんとした。初めは怨めしさうに女教師の顏を見てゐたが、フイと首を※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]らして、側に立つ垢臭い女神、頭痛の化生、繻子の半襟をかけたマダム馬鈴薯を仰いだ。平常《いつも》は死んだ源五郎鮒の目の樣に鈍い目も、此時だけは激戰の火花の影を猶留めて、極度の恐縮と嘆願の情にやゝ濕みを持つて居る。世にも弱き夫が渾身の愛情を捧げて妻が一顧の哀憐を買はむとするの圖は正に之である。然し大理石に泥を塗つたやうな女神の面は微塵も動かなんだ。そして、唯一聲、『フン、』と云つた。噫世に誰か此フンの意味の能く解る人があらう。やがて身を屈《かゞ》めて、落ちて居た櫛を拾ふ。抱いて居る兒はまだ乳房を放さない。隨分強慾な兒だ。
古山は、野卑な目付に憤怒の色を湛へて自分を凝視して居る。水の面の白い浮標《うき》の、今沈むかと氣が氣でな
前へ
次へ
全71ページ中28ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
石川 啄木 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング