成績の調査、缺席の事由、食料携帶の状況、學用品供給の模樣など、名目は立派でも殆んど無意義な仕事が少なからずあるのである。茲に於て自分は感じた、地獄極樂は決して宗教家の方便ではない、實際我等の此の世界に現存して居るものである、と。さうだ、この日の自分は明らかに校長閣下の一言によつて、極樂へ行く途中から、正確なるべき時間迄が娑婆の時計と一時間も相違のある此の蒸《む》し熱《あつ》き地獄に墮《おと》されたのである。算盤の珠のパチ/\/\といふ音、これが乃ち取りも直さず、中世紀末の大冒險家、地極煉獄天國の三界を跨《また》にかけたダンテ・アリギエリでさへ、聞いては流石に膽《きも》を冷した『パペ、サタン、パペ、サタン、アレッペ』といふ奈落の底の聲ではないか。自分は實際、この計算と來ると、吝嗇《しみつたれ》な金持の爺が己の財産を勘定して見る時の樣に、ニコ/\ものでは兎《と》ても行《や》れないのである。極樂から地獄! この永劫の宣告を下したものは誰か、抑々誰か。曰く、校長だ。自分は此日程此校長の顏に表れて居る醜惡と缺點とを精密に見極めた事はない。第一に其鼻下の八字髯が極めて光澤が無い、これは其人物に一分一厘の活氣もない證據だ。そして其髯が鰻のそれの如く兩端遙かに※[#「丿+臣+頁」、第4水準2−92−28]《あご》の方面に垂下して居る、恐らく向上といふ事を忘却した精神の象徴はこれであらう。亡國の髯だ、朝鮮人と昔の漢學の先生と今の學校教師にのみあるべき髯だ、黒子《ほくろ》が總計三箇ある、就中大きいのが左の目の下に不吉の星の如く、如何にも目障《めざは》りだ。これは俗に泣黒子《なきぼくろ》と云つて、幸にも自分の一族、乃至は平生畏敬して居る人々の顏立《かほだち》には、ついぞ見當らぬ道具である。宜《むべ》なる哉、この男、どうせ將來好い目に逢ふ氣づかひが無いのだもの。……數へ來れば幾等もあるが、結句、田島校長=0[#「田島校長=0」は横書き]という結論に歸着した。詰り、一毫の微《び》と雖ども自分の氣に合ふ點がなかつたのである。
この不法なるクーデターの顛末《てんまつ》が、自分の口から、生徒控處の一隅で、殘りなく我がジャコビン黨全員の耳に達せられた時、一團の暗雲あつて忽ちに五十幾個の若々しき天眞の顏を覆うた。樂園の光明門を閉ざす鉛色の雲霧である。明らかに彼等は、自分と同じ不快、不平を一喫したので
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