卓子に相割據して居た。――卓子は互に密接して居るものの、此時の状態は確かに一の割據時代を現出して居たので。――二三十分も續いた『パペ、サタン、アレッペ』といふ苦しげなる聲は、三四分前に至つて、足音に驚いて卒《には》かに啼き止む小田の蛙の歌の如く、礑と許り止んだ。と同時に、(老いたる尊とき導師は震《わな》なくダンテの手をひいて、更に他の修羅圈内に進んだのであらう。)新らしき一陣の殺氣|颯《さつ》と面《おもて》を打つて、別箇の光景をこの室内に描き出したのである。
詳しく説明すれば、實に詰らぬ話であるが、問題は斯うである。二三日以前、自分は不圖した轉機《はずみ》から思附いて、このS――村小學校の生徒をして日常朗唱せしむべき、云はゞ校歌といつた樣な性質の一歌詞を作り、そして作曲した。作曲して見たのが此時、自分が呱々の聲をあげて以來二十一年、實際初めてゞあるに關らず、恥かし乍ら自白すると、出來上つたのを聲の透る我が妻に歌はせて聞いた時の感じでは、少々巧い、と思はれた。今でもさう思つて居るが……。妻からも賞められた。その夜遊びに來た二三の生徒に、自分でヰオリンを彈き乍ら教へたら、矢張賞めてくれた、然も非常に面白い、これからは毎日歌ひますと云つて。歌詞は六行一聯の六聯で、曲の方はハ調四分の二拍子、それが最後の二行が四分の三拍子に變る。斯う變るので一段と面白いのですよ、と我が妻は云ふ。イヤ、それはそれとして、兎も角も自分はこれに就いて一點|疚《やま》しい處のないのは明白な事實だ。作歌作曲は決して盜人、僞善者、乃至一切破廉恥漢の行爲と同一視さるべきではない。マサカ代用教員如きに作曲などをする資格がないといふ規定もない筈だ。して見ると、自分は不相變《あひかはらず》正々堂々たるものである、俯仰して天地に恥づる所なき大丈夫である。所が、豈《あに》曷《いづく》んぞ圖らんや、この堂々として赤裸々たる處が却つて敵をして矢を放たしむる的となつた所以であつたのだ。ト何も大袈裟に云ふ必要もないが、其歌を自分の教へてやつた生徒は其夜僅か三人(名前も明らかに記憶して居る)に過ぎなかつたが、何んでもジャコビン黨員の胸には皆同じ色――若き生命の淺緑と湧き立つ春の泉の血の色との火が燃えて居て、脣が皆一樣に乾いて居る爲めに野火の移りの早かつたものか、一日二日と見る/\うちに傳唱されて、今日は早や、多少調子の違つ
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