出てゐたね。彼れを讀むと、十人の八人までは避暑なんか爲なくても可いやうに言つてる。ああ言つてるのはつまり、彼等頭取とか、重役とか、社長とかいふ地位にゐるものは、周圍の批評に比較的無關心で有り得る境遇にゐるからなんだよ。山へ行きたいの、海へ行きたいのといふのは、畢竟僕の所謂批評の無い場所へ行きたいといふ事なんだからね。ところが僕等のやうな一般人はさうは行かん。先《ま》あ誰にでも可いから、其の人の現在に於ける必要と希望とを滿たして、それでもまだ餘る位の金をくれて見給へ。屹度海か、山へ行くね。十人に九人までは行くね。人がよく夏休みになると、借金してまで郷里へ歸るのは、一つは矢張りそれだよ。さうして復東京へ戻つて來ると、屹度、「故郷は遠くから想ふべき處で、歸るべき處ぢやない。」といふのも、矢張りそれだよ。故郷だつて、山や河ばかりぢやない。人間がゐる。然も自分を知つてる人間ばかりゐる。二日や、三日は可いが、少し長くなると、其處にもまた批評の有る事を發見して厭になるんだ。』
高橋は入つて來た時から放さなかつた扇を疊んで[#「疊んで」は底本では「疊んだ」]、ごろりと横になつた。そして續けた。
『僕
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