のか解らないぢやないか。そればかりぢやない。僕は現在時と場合によつて帽子を脱ることもあれば、握手することもある。それで些とも不便を感じない。――世の中といふものは實に微妙に推移して行くものだと僕は思ふね。常に新陳代謝してゐる。其の間に一分間だつて間隙を現すことは無いよ。君の言ふ裂隙《ひび》なんて、何處を見たつて見えないぢやないか!』
高橋は笑つた。『さう言ふ見方をしたつて見えるものか。――そして其の例は當らないよ。』
『何故《なぜ》當らん?』
『君の言ふのは時代の社會的現象のことだ。僕の言つたのは時代の精神のことだよ。』
『精神と現象と關係が無いと言ふのか?』
『現象は――例へば手だ。手には神經はあるけれども思想はない、手は何にでも觸ることが出來るけれども、頭の内部には觸ることは許されない。――』
『さうか。そんなら先《ま》あそれでも可いよ。――さうすると今の細君問題は何うなるんだ?』
『何うと言つて、別に何うもならんさ。』
『矢つ張りその何か、甘くない意味に於て尻に布かれるといふことになるんか?』
『つまりさうさ。夫婦關係の問題も今言つた一般道徳と同じ運命になつて來てるんだ。個人意
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