それを聞かう。』
高橋は一寸の間、恰度安井の言葉が耳に入らなかつたやうに、返事もしなければ、身動きもしなかつた。「何故斯う人の言ふことに反對するだらう?」私はさう思つた。すると、彈機仕掛《ばねじかけ》みたいにむくりと起き返つて、皮肉な目附をして我々の顏を一わたり見渡した。そして、
『言つても可いがね。……言ふから、それぢやあ結末《しまひ》まで聞き給へ。可いかね? 君等は何といふか知らないが、無邪氣といふことは惡徳ぢやあないね? 賞めるべきことでは決してないが、然し惡徳ぢやないね、可いかね? 逢坂は無邪氣な男だよ。實に無邪氣な男だよ。――』
『それはさうさ。然し――』と私は言はうとした。
高橋は鋭い一瞥を私に與へて、『例へばだ、社で誰が一番給仕に呶鳴りつけるかといふと、政治部の高見と僕等の方の逢坂だ。高見君はあれあ、鉛筆が削つても、削つても折れると言つて、小刀を床《ゆか》に敲《たた》き附ける癇癪持だから、爲樣がないが、逢坂のまあ彼の聲は何といふ聲だえ? それに彼《あ》の格好よ。まるで給仕を噛み殺して了ひさうだ。さうして其の後で以て直ぐ、○○だとか、△△だとか、すべて自分より上の者に向
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