とは實は私も知らない。一體に自分に關した話は成るべく避けてしない風の男だつた。が、何かの序に、經濟上の苦しみだけは學生時代から隨分甞めたやうなことを言つたことがある。地方へ教師になつたのは、恩のある母(多分繼母だつたらう)を養ふ爲で、それが死んだから早速東京へ歸つたのだといふ話も聞いたやうに記憶してゐる。細君もあり、子供も三人かあつたが、何處で何うして結婚したのか、それは少しも解らない。此方から聞いて見ても、「そんな下らぬ話をする奴があるものか。」といふやうな顏をして、てんで對手にならなかつた。第一我々の仲間で、その細君を見たといふ者は一人もない。郊外の、しかも池袋の停車場から十町もあるといふ處に住んでゐて、人を誘つて行くこともなければ、又、いくら勸めてももつと近い處へは引越して來なかつた。
最初半年ばかりは、社中にこれといふ親友も出來たらしく見えなかつた。何方かと言へば口が重く、それに餘り人好きのする風采でもないところへ、自分でも進んで友を求めるといふやうな風はなかつた。「高橋さあん。」と社會部の編輯長が呼ぶと、默つて立つて其の前へ行く。「はい」と言つて命令を聞き取る。上等兵か何かが上官の前に出た時のやうだ。渡された通信の原稿を受け取つて來て、一通り目を通す。それから出懸けて行く。急《せ》くでもない、急かぬでもない、他の者のやうに、「何だ、つまらない。」といふやうな顏をすることもなければ、目を輝かして、獲物を見附けた獵犬のやうに飛び出して行くこともない。電話口で交換手に呶鳴りつけることもなければ、誂へた辨當が遲いと言つて給仕に劍突《けんつく》を喰はせることもない。そして歸つて來て書く原稿は、若い記者のよくやるやうな、頭つ張りばかり強くて、結末に行つて氣の拔けるやうなことはなく、穩《おとな》しい字でどんな事件でも相應に要領を書きこなしてあるが、其の代り、これといふ新しみも、奇拔なところもない。先づ誰が見ても世慣れた記者の筆だ。書いて了ふと、片膝を兩手で抱いて、頸窩《ぼんのくぼ》を椅子の脊に載せて、處々から電燈の索の吊り下つた、煙草の煙りで煤びた天井を何處といふことなしに眺めてゐる。話をすることもあるが、話の中心になることはない。猶更子供染みた手柄話などをすることはなかつた。つまり、一口に言へば、何一つ人の目を惹くやうなところの無い、或は、爲《し》ない男だつた。
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