、一人は、胡座《あぐら》をかいた股の間へ手焙《てあぶ》りを擁《かゝ》へ込んで、それでも足らずにぢり/\と蹂《にじ》り出しながら、「さうぢや。徒らに筆を弄んで食を偸む。のう文明の盜賊とは奴等の事《こつ》ちや。社會の毒蟲ぢや。我輩不敏といへども奴等よりはまだ高潔な心をもつとる。學問をせなんだ者は眞に爲樣がないなあ。」と酒臭い息を吹いてそれに應ずる。――そして我々は、何時誰が言ひ出したともなく、自分等の一團を學問黨と呼んでゐた。
尤も、醉ひが醒めて、翌日になつて[#「翌日になつて」は底本では「翌日なつて」]出勤すると、嵐の明くる朝と同じことで、まるで樣子が違つた。誰を見てもけろりと忘れたやうな顏をして濟ましてゐる。「昨夜は愉快ぢやつたなあ。」と偶に話しかけてみても、相手はただ、「うむ。」と言つて妙な笑ひ方をして見せる位のことだ。命令が出ると何處へでも早速飛び出して行つた。惡い顏をする者もなければ、怠ける者もなかつた。他の同僚に對しても同じで、殊更に輕蔑するの、口を利かぬのといふことはしない。ただ少し冷淡だといふに過ぎない。が、何か知ら事があると、連中のうちで、紙片を圓めたのを投げてやつて、眼と眼を見合はせて笑ふとか、不意に脊中をどやしつけて、それに託《かこづ》けて高笑ひをする位のことはやつた。意氣地がないと言へばそれまでだが、これは然しさうあるべき筈だつた。反對派と言つた所で、何も先方が此方に對抗する黨派を結んでゐたといふでもない。言はば、我々の方で勝手に敵にしてゐただけの話だ。自分等が自分等の意見を行ふ地位にゐないといふ外には、社に對してだつて別に大した不平を持つてゐたのでもないのだから。――それに、之は餘り人聞きの好いことではないが、T――新聞は他の社より月給や手當の割がずつと好かつた……
この「我が黨の士」の中に、高橋彦太郎といふ記者があつた。我々の間では年長者の方で、もう三十一、二の年齡をしてゐたが、私よりは二、三箇月遲れて入社した男だつた。先づ履歴から言ふと、今のY――大學がまだ專門學校と言つてゐた頃の卒業生で、卒業すると間もなく中學教師になり、一年ばかり東北の方に行つてゐたらしい。それから東京へ歸つて來て、或政治雜誌の記者になり、實業家の手代になり、遂々《とう/\》新聞界に入つて、私の社へ來る迄に二つ、三つの新聞を歩いた。――ざつとこんなものだが、詳しいこ
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