もない。さう言ふと大袈裟だが、實際我々が、感情の命令によつて何れだけ處世の方針を變へて可いかは、よく解つてる話ぢやないか?――逢坂が昨日、自分の方が先に言ひ附けたのに、何故外の用を先にしたと言つて給仕を虐《いぢ》めてゐたつけが、感情を發表するに正直だといふ點では、我々は遠く逢坂に及ばないよ。さうだらう? 若し其の逢坂が我々の唾棄すべき人間ならばだ、我々の今の樣な言動を同時に唾棄しなくつちやならんぢやないか? あんな奴の蔭口を利くより、何かもう少し氣の利いた話題はないもんかねえ。』
 高橋は一座を見廻した。我々は誰も皆、少し煙に捲かれたやうな顏をしてゐた。
『それはさうさ。話題はいくらでもあるが、然し可いぢやないか? 我々は何も逢坂を攻撃して快とするんぢやない。言はば座興だもの。』と私は言つた。
『座興さ、無論。それは僕だつて解つてるよ。僕が言つたんだつて矢張座興だよ。故意に君等を攻撃したんぢやないよ。』
『此奴は隨分皮肉に出來てる男さね。――つまり君のいふのは平凡主義さ。それはさうだよ。人間なんて、君、そんなに各自《めい/\》違つてるもんぢやないからねえ。』
 安井は妙な所で折れて了つた。一人、劍持だけはまだ何か穩《おだや》かでない目附をしてゐた。
『ははゝゝ。』と高橋は、取つて着けたやうに、戯談らしい笑ひ方をした。『然し僕は喋つたねえ。僕はこんなに喋ることは滅多にないぜ。――然し實を言ふと、逢坂は僕も嫌ひだよ。あんな下劣な奴はないからねえ。』
『さうだらう?』安井は得意になつた。
『君も何だね、隨分彼奴を虐待しとるのう?』
 逢坂がぶく/\肥つた身體を、足音を偸むやうにして運んで來て、不恰好な鼻に鼻眼鏡を乘せた顏で覗き込むやうにしながら、「君の今朝の記事には大いに敬服しましたよ。M――新聞で書いとるのなんか、ちつとも成つちよらん。先刻彼處の社會部長に會つたから、少し僕等の方の記事を讀んでみて下さいと言つてやつた。」などと言ふと、高橋は、先づしげ/\對手の顏を見て、それから外方《そつぽ》を向いて、「いくらでも勝手に敬服してくれ給へ。」といつたやうな言ひ方をするのが常だつた。
 私は横合から口を出して、
『君は一體、人に反對する時に限つて能辯になる癖があるね。――餘つ程|旋毛曲《つむじまが》りだと見える。よく反對したがるからねえ。』
『さうぢやないさ。』
『さうだよ。
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