の手柄は君等にしろ、無論僕にしろ、成るべく多くの人に知らせたいものだよ。流行《はやり》言葉も用《つか》つて見たしな。たゞ違ふのは、其の同じ心を、逢坂が一尺に發表する時に、我々は一寸か二寸で濟まして置くだけのことだ。何故其の違ひが起るかと云ふと、要するに逢坂が實に無邪氣な人間だといふに歸する。所謂天眞爛漫といふ奴さ。さうしてだね、何故我々が、其の同じ心を逢坂のやうに十分、若くは、十分以上に發表することを敢てしないかといふと、之は要するに、何の理由か知らないが、兎に角我々には自分で自分に氣羞かしくそんな事が出來ないんだ。そして其の理由はといふと、――此處ではつきり説明は出來ないがね。――正直に先《ま》あ自分の心に問うて見給へ。決して餘り高尚な理由ではないぜ。――』
『君は無邪氣、無邪氣つて云ふが、君の言ふのは畢竟|教養《カルチュア》の問題なんぢや。』劍持はしたり顏になつて言つた。
『さうぢやないか? 教養と人格の問題よ。其處が學問黨と、非學問黨の別れる處なんぢや。』
『すると、何か? 人格といふ言葉は餘り抽象的な言葉だから、暫く預かるとして、教養といふことだね。つまるところ、教養があるといふことと、自己を欺く――少くとも、自己を韜晦《たうくわい》するといふことと同じか?』
『高橋君。』安井が横合から話を奪つて、『君は、無邪氣は惡徳だとか、惡徳でないとかいふが、そんなことは我々に全く不必要ぢやないか? 我々の言つとつたのは、善惡の問題ぢやあ無い。好惡の問題だよ。逢坂の奴の性質が無邪氣であるにしろ、ないにしろ、兎に角奴の一擧一動に表はれるところが、我々の氣に喰はん。頭の先から足の先まで氣に喰はん。氣に喰はんから、氣に喰はんといふに、何の不思議もないぢやないか?』
『それがさ。――あゝ面倒臭いな。――先《ま》あ考へてみるさ。氣に喰はんから氣に喰はんといふに何の不思議はない。それは、我々が我々の感情を發表するに何の拘束も要らんといふことだ。それも可いさ。然し發表したつて何《どう》なる? 可いかね? 君はまさか逢坂がいくら氣に喰はんたつて、それで以て逢坂と同じ日の下に、同じ空氣を吸つてることまで何うかしようとは思はんだらう? 現に同じ社にゐる。同じ社會部に屬してゐる。誰だつてあんな奴と一緒に生きてるのが厭だと言つて[#「言つて」は底本では「行つて」]死ぬ莫迦はないさ。先方を殺す者
前へ
次へ
全39ページ中11ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
石川 啄木 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング