それを聞かう。』
高橋は一寸の間、恰度安井の言葉が耳に入らなかつたやうに、返事もしなければ、身動きもしなかつた。「何故斯う人の言ふことに反對するだらう?」私はさう思つた。すると、彈機仕掛《ばねじかけ》みたいにむくりと起き返つて、皮肉な目附をして我々の顏を一わたり見渡した。そして、
『言つても可いがね。……言ふから、それぢやあ結末《しまひ》まで聞き給へ。可いかね? 君等は何といふか知らないが、無邪氣といふことは惡徳ぢやあないね? 賞めるべきことでは決してないが、然し惡徳ぢやないね、可いかね? 逢坂は無邪氣な男だよ。實に無邪氣な男だよ。――』
『それはさうさ。然し――』と私は言はうとした。
高橋は鋭い一瞥を私に與へて、『例へばだ、社で誰が一番給仕に呶鳴りつけるかといふと、政治部の高見と僕等の方の逢坂だ。高見君はあれあ、鉛筆が削つても、削つても折れると言つて、小刀を床《ゆか》に敲《たた》き附ける癇癪持だから、爲樣がないが、逢坂のまあ彼の聲は何といふ聲だえ? それに彼《あ》の格好よ。まるで給仕を噛み殺して了ひさうだ。さうして其の後で以て直ぐ、○○だとか、△△だとか、すべて自分より上の者に向ふと彼《あ》の通りだ。世の中にや隨分見え透いた機嫌の取り方をする者もあるが、あんなのは滅多にないよ。他《はた》で見てゐて唾を引つ掛けたくなる。それに、暇さへあれば我々の間を廻つて歩いて、彼の通り幇間染みた事を言ふ。かと思ふと又、機會さへあれば例の自畫自贊だ。でなければ何さ、それ、「我々近代人」と來るさ。ははは。一體彼奴は、今の文學者連中と交際してるのが、餘つ程得意なんだね。そして其奴等の口眞似をして一人で悦《えつ》に入つてるんだ、淫賣婦が馴染客に情死を迫られて、迯げ出すところを後から斬り附けられた記事へ、個人意識の強い近代的女性の標本だと書いた時は、僕も思はず噴き出したね。ね?
ところがだ、考へてみると、それが皆僕の前提を肯定する材料になる。無邪氣でなくて誰があんな眞似が出來る? 我々自身を省るが可い。我々だつて、何時でも逢坂を糞味噌に貶《けな》してゐるが、底の底を割つてみれば彼奴と同じぢやないか? 下の者には何も遠慮をする必要がない。上の者には本意、不本意に拘らず、多少の敬意を表して置く。これあ人情だ。同時に處世の常則だよ。同僚にだつてさうだ、誰だつて惡く云はれたくはないさ。又自分
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