。出來るだけ多くの觀察を此の時間にしたいと思つてゐる。――そして私は、殆ど毎日のやうに私が電車内に於て享ける不快なる印象を囘想する毎に、我々日本人の爲に、竝びに我々の此の時代の爲に、常に一種の悲しみを催さずには居られない。――それらの數限りなき不快なる印象は、必ずしも我々日本人の教化《カルチユア》の足らぬといふ點にばかり原因してはゐない、我々日本人が未だ歐羅巴的の社會生活に慣れ切つてゐないといふ點にばかり原因してはゐない。私はさう思ふ。若しも日露戰爭の成績が日本人の國民的性格を發揮したものならば、同じ日本人によつて爲さるゝそれ等市井の瑣事も亦、同樣に日本人の根本的運命を語るものでなければならぬ。
 若しも讀者の中の或人が、此處に記述した二つの事件によつて、私が早計にも日露兩國民の性格を比較したものと見るならば、それは甚だしい誤解である。――私は私の研究をそんな單純な且つ淺いものにしたくない。此處には唯、露西亞の一賤民の愛すべき性情と、明治四十三年五月下旬の某日、私が東京市内の電車に於て目撃した一事件とを、アイロニカルな興味を以て書き列べて見たまでである。(五月四日夜東京に於て)[#地か
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