推量に過ぎないのだが、私には何うもさうは思へなかつた。進むべき路を進みかねて境遇の犧牲《ぎせい》となつた人の、その心に消しがたき不平が有れば有る程、元氣も顏色も人先に衰《おとろ》へて、幸福な人がこれから初めて世の中に打つて出ようといふ歳頃《としごろ》に、早く既に醫しがたき神經衰弱に陷つてゐる例は、私の知つてゐる範圍にも二人や三人ではない。私は「十八の歳から生活の苦しみを知つた人」と「脱字を多くする人」とを別々に離して考へることは出來なかつた。
○某君のこの投書は、多分何か急がしい事のある日か、心の落付かぬ程嬉しい事でもある日に書いたので、斯う脱字が多かつたのだらう。さうだらうと私は思ふ。然し若し此處に私の勝手に想像したやうな人があつて、某君の歌つたやうな事を誰かの前に訴へたとしたならば、その人は果して何と答へるだらうか。
○私は色々の場合、色々の人のそれに對する答へを想像して見た。それは皆如何にも尤もな事ばかりであつた。然しそれらの叱※[#「口+它」、第3水準1−14−88]《しつた》それらの激勵、それらの同情は果して何れだけその不幸なる青年の境遇を變へてくれるだらうか。のみならず私は
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