をするかも知れない。しかし君はそのうちに飽きてしまっておっくうになるよ。そうしておれん処へ来て、また引越しの披露をするよ。その時おれは、「とうとう飽きたね」と君に言うね。
B 何だい。もうその時の挨拶《あいさつ》まで工夫《くふう》してるのか。
A まあさ。「とうとう飽きたね」と君に言うね。それは君に言うのだから可い。おれは其奴《そいつ》を自分には言いたくない。
B 相不変《あいかわらず》厭な男だなあ、君は。
A 厭な男さ。おれもそう思ってる。
B 君は何日《いつ》か――あれは去年かな――おれと一緒に行って淫売屋《いんばいや》から逃げ出した時もそんなことを言った。
A そうだったかね。
B 君はきっと早く死ぬ。もう少し気を広く持たなくちゃ可かんよ。一体君は余りアンビシャスだから可かん。何だって真の満足ってものは世の中に有りやしない。従って何だって飽きる時が来るに定《きま》ってらあ。飽きたり、不満足になったりする時を予想して何にもせずにいる位なら、生れて来なかった方が余っ程可いや。生れた者はきっと死ぬんだから。
A 笑わせるない。
B 笑ってもいないじゃないか。
A 可笑《おか》しくもない。
B 笑うさ。可笑しくなくったって些《ちっ》たあ笑わなくちゃ可かん。はは。(間)しかし何だね。君は自分で飽きっぽい男だと言ってるが、案外そうでもないようだね。
A 何故。
B 相不変《あいかわらず》歌を作ってるじゃないか。
A 歌か。
B 止《や》めたかと思うとまた作る。執念深いところが有るよ。やっぱり君は一生歌を作るだろうな。
A どうだか。
B 歌も可いね。こないだ友人とこへ行ったら、やっぱり歌を作るとか読むとかいう姉さんがいてね。君の事を話してやったら、「あの歌人はあなたのお友達なんですか」って喫驚《びっくり》していたよ。おれはそんなに俗人に見えるのかな。
A 「歌人」は可かったね。
B 首をすくめることはないじゃないか。おれも実は最初変だと思ったよ。Aは歌人だ! 何んだか変だものな。しかし歌を作ってる以上はやっぱり歌人にゃ違いないよ。おれもこれから一つ君を歌人扱いにしてやろうと思ってるんだ。
A 御馳走《ごちそう》でもしてくれるのか。
B 莫迦《ばか》なことを言え。一体歌人にしろ小説家にしろ、すべて文学者といわれる階級に属する人間は無責任なものだ。何を書いても書いたことに責任は負わない。待てよ、これは、何日《いつ》か君から聞いた議論だったね。
A どうだか。
B どうだかって、たしかに言ったよ。文芸上の作物は巧《うま》いにしろ拙《まず》いにしろ、それがそれだけで完了してると云う点に於て、人生の交渉は歴史上の事柄と同じく間接だ、とか何んとか。(間)それはまあどうでも可いが、とにかくおれは今後無責任を君の特権として認めて置く。特待生だよ。
A 許してくれ。おれは何よりもその特待生が嫌《きら》いなんだ。何日だっけ北海道へ行く時青森から船に乗ったら、船の事務長が知ってる奴だったものだから、三等の切符を持ってるおれを無理矢理に一等室に入れたんだ。室だけならまだ可いが、食事の時間になったらボーイを寄こしてとうとう食堂まで引張り出された。あんなに不愉快な飯を食ったことはない。
B それは三等の切符を持っていた所為《せい》だ。一等の切符さえ有れあ当り前じゃないか。
A 莫迦《ばか》を言え。人間は皆赤切符だ。
B 人間は皆赤切符! やっぱり話せるな。おれが飯屋へ飛び込んで空樽《あきだる》に腰掛けるのもそれだ。
A 何だい、うまい物うまい物って言うから何を食うのかと思ったら、一膳飯屋へ行くのか。
B 上《かみ》は精養軒の洋食から下《しも》は一膳飯、牛飯、大道の焼鳥に至るさ。飯屋にだってうまい物は有るぜ。先刻《さっき》来る時はとろろ飯を食って来た。
A 朝には何を食う。
B 近所にミルクホールが有るから其処《そこ》へ行く。君の歌も其処で読んだんだ。何でも雑誌をとってる家だからね。(間)そうそう、君は何日《いつ》か短歌が滅びるとおれに言ったことがあるね。この頃その短歌滅亡論という奴が流行《はや》って来たじゃないか。
A 流行るかね。おれの読んだのは尾上柴舟《おのえさいしゅう》という人の書いたのだけだ。
B そうさ。おれの読んだのもそれだ。然《しか》し一人が言い出す時分にゃ十人か五人は同じ事を考えてるもんだよ。
A あれは尾上という人の歌そのものが行きづまって来たという事実に立派な裏書《うらがき》をしたものだ。
B 何を言う。そんなら君があの議論を唱えた時は、君の歌が行きづまった時だったのか。
A そうさ。歌ばかりじゃない、何もかも行きづまった時だった。
B しかしあれには色色|理窟《りくつ》が書いてあった。
A 理窟は何にでも着くさ。ただ世の中のことは一つだっ
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