一握の砂
石川啄木

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)東海《とうかい》の

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)相|邇《ちか》き

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   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「呎」の「尺」に代えて「去」、第3水準1−14−91]呻《あくび》
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函館なる郁雨宮崎大四郎君
同国の友文学士花明金田一京助君
[#ここで字下げ終わり]

この集を両君に捧ぐ。予はすでに予のすべてを両君の前に示しつくしたるものの如し。従つて両君はここに歌はれたる歌の一一につきて最も多く知るの人なるを信ずればなり。
また一本をとりて亡児真一に手向く。この集の稿本を書肆の手に渡したるは汝の生れたる朝なりき。この集の稿料は汝の薬餌となりたり。而してこの集の見本刷を予の閲したるは汝の火葬の夜なりき。
[#地から2字上げ]著者
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明治四十一年夏以後の作一千余首中より五百五十一首を抜きてこの集に収む。集中五章、感興の来由するところ相|邇《ちか》きをたづねて仮にわかてるのみ。「秋風のこころよさに」は明治四十一年秋の紀念なり。
[#改ページ]

 我を愛する歌

東海《とうかい》の小島《こじま》の磯《いそ》の白砂《しらすな》に
われ泣《な》きぬれて
蟹《かに》とたはむる

頬《ほ》につたふ
なみだのごはず
一握《いちあく》の砂を示《しめ》しし人を忘れず

大海《だいかい》にむかひて一人《ひとり》
七八日《ななやうか》
泣きなむとすと家を出《い》でにき

いたく錆《さ》びしピストル出《い》でぬ
砂山《すなやま》の
砂を指もて掘《ほ》りてありしに

ひと夜《よ》さに嵐《あらし》来《きた》りて築《きづ》きたる
この砂山は
何《なに》の墓《はか》ぞも

砂山の砂に腹這《はらば》ひ
初恋の
いたみを遠くおもひ出《い》づる日

砂山の裾《すそ》によこたはる流木《りうぼく》に
あたり見まはし
物《もの》言《い》ひてみる

いのちなき砂のかなしさよ
さらさらと
握《にぎ》れば指のあひだより落つ

しっとりと
なみだを吸《す》へる砂の玉
なみだは重きものにしあるかな

大《だい》という字を百あまり
砂に書き
死ぬことをやめて帰り来《きた》れり

目さまして猶《なほ》起《お》き出《い》でぬ児の癖《くせ》は
かなしき癖ぞ
母よ咎《とが》むな

ひと塊《くれ》の土に涎《よだれ》し
泣く母の肖顔《にがほ》つくりぬ
かなしくもあるか

燈影《ほかげ》なき室《しつ》に我あり
父と母
壁のなかより杖《つゑ》つきて出《い》づ

たはむれに母を背負《せお》ひて
そのあまり軽《かろ》きに泣きて
三歩あゆまず

飄然《へうぜん》と家を出《い》でては
飄然と帰りし癖よ
友はわらへど

ふるさとの父の咳《せき》する度《たび》に斯《か》く
咳の出《い》づるや
病《や》めばはかなし

わが泣くを少女等《をとめら》きかば
病犬《やまいぬ》の
月に吠《ほ》ゆるに似たりといふらむ

何処《いづく》やらむかすかに虫のなくごとき
こころ細《ぼそ》さを
今日《けふ》もおぼゆる

いと暗き
穴《あな》に心を吸《す》はれゆくごとく思ひて
つかれて眠る

こころよく
我にはたらく仕事あれ
それを仕遂《しと》げて死なむと思ふ

こみ合《あ》へる電車の隅《すみ》に
ちぢこまる
ゆふべゆふべの我のいとしさ

浅草《あさくさ》の夜《よ》のにぎはひに
まぎれ入《い》り
まぎれ出《い》で来《き》しさびしき心

愛犬《あいけん》の耳|斬《き》りてみぬ
あはれこれも
物に倦《う》みたる心にかあらむ

鏡《かがみ》とり
能《あた》ふかぎりのさまざまの顔をしてみぬ
泣き飽《あ》きし時

なみだなみだ
不思議なるかな
それをもて洗《あら》へば心|戯《おど》けたくなれり

呆《あき》れたる母の言葉に
気がつけば
茶碗《ちやわん》を箸《はし》もて敲《たた》きてありき

草に臥《ね》て
おもふことなし
わが額《ぬか》に糞《ふん》して鳥は空に遊べり

わが髭《ひげ》の
下向く癖《くせ》がいきどほろし
このごろ憎《にく》き男に似たれば

森の奥より銃声《じうせい》聞ゆ
あはれあはれ
自《みづか》ら死ぬる音のよろしさ

大木《たいぼく》の幹《みき》に耳あて
小半日《こはんにち》
堅《かた》き皮をばむしりてありき

「さばかりの事に死ぬるや」
「さばかりの事に生くるや」
止《よ》せ止せ問答

まれにある
この平《たひら》なる心には
時計の鳴るもおもしろく聴《き》く

ふと深き怖れを覚え
ぢっとして
やがて静かに臍《ほそ》をまさぐる

高山《たかやま》のいただきに登り
なにがなしに帽子《ばうし》をふりて
下《くだ》り来しかな

何処《どこ》やらに沢山《たくさん》の人があらそひて
鬮《くじ》引《ひ》くごとし
われも引きたし

怒《いか》る時
かならずひとつ鉢《はち》を割《わ》り
九百九十九《くひやくくじふく》割りて死なまし

いつも逢《あ》ふ電車の中の小男《こをとこ》の
稜《かど》ある眼《まなこ》
このごろ気になる

鏡屋《かがみや》の前に来て
ふと驚きぬ
見すぼらしげに歩《あゆ》むものかも

何《なに》となく汽車に乗りたく思ひしのみ
汽車を下《お》りしに
ゆくところなし

空家《あきや》に入《い》り
煙草《たばこ》のみたることありき
あはれただ一人|居《い》たきばかりに

何がなしに
さびしくなれば出《で》てあるく男となりて
三月《みつき》にもなれり

やはらかに積れる雪に
熱《ほ》てる頬《ほ》を埋《うづ》むるごとき
恋してみたし

かなしきは
飽《あ》くなき利己《りこ》の一念を
持てあましたる男にありけり

手も足も
室《へや》いっぱいに投げ出《だ》して
やがて静かに起きかへるかな

百年《ももとせ》の長き眠りの覚《さ》めしごと
※[#「呎」の「尺」に代えて「去」、第3水準1−14−91]呻《あくび》してまし
思ふことなしに

腕《うで》拱《く》みて
このごろ思ふ
大《おほ》いなる敵《てき》目の前に躍《をど》り出《い》でよと

手が白く
且《か》つ大《だい》なりき
非凡《ひぼん》なる人といはるる男に会ひしに

こころよく
人を讃《ほ》めてみたくなりにけり
利己《りこ》の心に倦《う》めるさびしさ

雨降れば
わが家《いへ》の人|誰《たれ》も誰も沈める顔す
雨|霽《は》れよかし

高きより飛びおりるごとき心もて
この一生を
終るすべなきか

この日頃
ひそかに胸にやどりたる悔《くい》あり
われを笑はしめざり

へつらひを聞けば
腹立《はらだ》つわがこころ
あまりに我を知るがかなしき

知らぬ家《いへ》たたき起して
遁《に》げ来《く》るがおもしろかりし
昔の恋しさ

非凡《ひぼん》なる人のごとくにふるまへる
後《のち》のさびしさは
何《なに》にかたぐへむ

大《おほ》いなる彼の身体《からだ》が
憎《にく》かりき
その前にゆきて物を言ふ時

実務には役に立たざるうた人《びと》と
我を見る人に
金借りにけり

遠くより笛の音《ね》きこゆ
うなだれてある故《ゆゑ》やらむ
なみだ流るる

それもよしこれもよしとてある人の
その気がるさを
欲《ほ》しくなりたり

死ぬことを
持薬《ぢやく》をのむがごとくにも我はおもへり
心いためば

路傍《みちばた》に犬ながながと※[#「呎」の「尺」に代えて「去」、第3水準1−14−91]呻《あくび》しぬ
われも真似《まね》しぬ
うらやましさに

真剣になりて竹もて犬を撃《う》つ
小児《せうに》の顔を
よしと思へり

ダイナモの
重き唸《うな》りのここちよさよ
あはれこのごとく物を言はまし

剽軽《へうきん》の性《さが》なりし友の死顔の
青き疲れが
いまも目にあり

気の変る人に仕《つか》へて
つくづくと
わが世がいやになりにけるかな

龍《りよう》のごとくむなしき空に躍《をど》り出《い》でて
消えゆく煙
見れば飽《あ》かなく

こころよき疲れなるかな
息もつかず
仕事をしたる後《のち》のこの疲れ

空寝入《そらねいり》生※[#「呎」の「尺」に代えて「去」、第3水準1−14−91]呻《なまあくび》など
なぜするや
思ふこと人にさとらせぬため

箸《はし》止《と》めてふっと思ひぬ
やうやくに
世のならはしに慣れにけるかな

朝はやく
婚期《こんき》を過ぎし妹の
恋文《こひぶみ》めける文《ふみ》を読めりけり

しっとりと
水を吸《す》ひたる海綿《かいめん》の
重さに似たる心地《ここち》おぼゆる

死ね死ねと己《おのれ》を怒《いか》り
もだしたる
心の底の暗きむなしさ

けものめく顔あり口をあけたてす
とのみ見てゐぬ
人の語るを

親と子と
はなればなれの心もて静かに対《むか》ふ
気まづきや何《な》ぞ

かの船の
かの航海の船客《せんかく》の一人にてありき
死にかねたるは

目の前の菓子皿《くわしざら》などを
かりかりと噛《か》みてみたくなりぬ
もどかしきかな

よく笑ふ若き男の
死にたらば
すこしはこの世さびしくもなれ

何がなしに
息《いき》きれるまで駆《か》け出《だ》してみたくなりたり
草原《くさはら》などを

あたらしき背広など着て
旅をせむ
しかく今年《ことし》も思ひ過ぎたる

ことさらに燈火《ともしび》を消して
まぢまぢと思ひてゐしは
わけもなきこと

浅草の凌雲閣《りよううんかく》のいただきに
腕組みし日の
長き日記《にき》かな

尋常《じんじやう》のおどけならむや
ナイフ持ち死ぬまねをする
その顔その顔

こそこその話がやがて高くなり
ピストル鳴りて
人生終る

時ありて
子供のやうにたはむれす
恋ある人のなさぬ業《わざ》かな

とかくして家を出《い》づれば
日光のあたたかさあり
息ふかく吸ふ

つかれたる牛のよだれは
たらたらと
千万年も尽きざるごとし

路傍《みちばた》の切石《きりいし》の上に
腕|拱《く》みて
空を見上ぐる男ありたり

何やらむ
穏《おだや》かならぬ目付《めつき》して
鶴嘴《つるはし》を打つ群を見てゐる

心より今日《けふ》は逃げ去れり
病《やまひ》ある獣《けもの》のごとき
不平逃げ去れり

おほどかの心来れり
あるくにも
腹に力のたまるがごとし

ただひとり泣かまほしさに
来て寝たる
宿屋《やどや》の夜具《やぐ》のこころよさかな

友よさは
乞食《こじき》の卑《いや》しさ厭《いと》ふなかれ
餓《う》ゑたる時は我も爾《しか》りき

新しきインクのにほひ
栓《せん》抜《ぬ》けば
餓ゑたる腹に沁《し》むがかなしも

かなしきは
喉《のど》のかわきをこらへつつ
夜寒《よざむ》の夜具にちぢこまる時

一度でも我に頭を下げさせし
人みな死ねと
いのりてしこと

我に似し友の二人《ふたり》よ
一人は死に
一人は牢《らう》を出《い》でて今|病《や》む

あまりある才を抱《いだ》きて
妻のため
おもひわづらふ友をかなしむ

打明けて語りて
何か損《そん》をせしごとく思ひて
友とわかれぬ

どんよりと
くもれる空を見てゐしに
人を殺したくなりにけるかな

人並《ひとなみ》の才《さい》に過ぎざる
わが友の
深き不平もあはれなるかな

誰《たれ》が見てもとりどころなき男来て
威張《ゐば》りて帰りぬ
かなしくもあるか

はたらけど
はたらけど猶《なほ》わが生活《くらし》楽にならざり
ぢっと手を見る

何もかも行末《ゆくすゑ》の事みゆるごとき
このかなしみは
拭《ぬぐ》ひあへずも

とある日に
酒をのみたくてならぬごとく
今日《けふ》われ切《せち》に金《かね》を欲《ほ》りせり

水晶《すゐしやう》の玉をよろこびもてあそぶ
わがこの心
何《なに》の心ぞ

事もなく
且《か》つこころよく肥《こ》えてゆく
わがこのごろの物足らぬかな

大いなる水晶の玉を
ひとつ欲《ほ》し
それにむかひて物を思はむ

うぬ惚《ぼ》るる友に
合槌《あひづち》うちてゐぬ
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