安からぬかな

そのむかし秀才《しうさい》の名の高かりし
友|牢《らう》にあり
秋のかぜ吹く

近眼《ちかめ》にて
おどけし歌をよみ出《い》でし
茂雄《しげを》の恋もかなしかりしか

わが妻のむかしの願ひ
音楽のことにかかりき
今はうたはず

友はみな或日《あるひ》四方《しはう》に散り行《ゆ》きぬ
その後《のち》八年《やとせ》
名《な》挙《あ》げしもなし

わが恋を
はじめて友にうち明けし夜《よる》のことなど
思ひ出《い》づる日

糸切れし紙鳶《たこ》のごとくに
若き日の心かろくも
とびさりしかな

   二

ふるさとの訛《なまり》なつかし
停車場《ていしやば》の人ごみの中に
そを聴《き》きにゆく

やまひある獣《けもの》のごとき
わがこころ
ふるさとのこと聞けばおとなし

ふと思ふ
ふるさとにゐて日毎《ひごと》聴《き》きし雀《すずめ》の鳴くを
三年《みとせ》聴かざり

亡《な》くなれる師がその昔
たまひたる
地理の本など取りいでて見る

その昔
小学校の柾屋根《まさやね》に我が投げし鞠《まり》
いかにかなりけむ

ふるさとの
かの路傍《みちばた》のすて石よ
今年も草に埋《うづ》もれ
前へ 次へ
全48ページ中18ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
石川 啄木 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング