ぬまねをする
その顔その顔

こそこその話がやがて高くなり
ピストル鳴りて
人生終る

時ありて
子供のやうにたはむれす
恋ある人のなさぬ業《わざ》かな

とかくして家を出《い》づれば
日光のあたたかさあり
息ふかく吸ふ

つかれたる牛のよだれは
たらたらと
千万年も尽きざるごとし

路傍《みちばた》の切石《きりいし》の上に
腕|拱《く》みて
空を見上ぐる男ありたり

何やらむ
穏《おだや》かならぬ目付《めつき》して
鶴嘴《つるはし》を打つ群を見てゐる

心より今日《けふ》は逃げ去れり
病《やまひ》ある獣《けもの》のごとき
不平逃げ去れり

おほどかの心来れり
あるくにも
腹に力のたまるがごとし

ただひとり泣かまほしさに
来て寝たる
宿屋《やどや》の夜具《やぐ》のこころよさかな

友よさは
乞食《こじき》の卑《いや》しさ厭《いと》ふなかれ
餓《う》ゑたる時は我も爾《しか》りき

新しきインクのにほひ
栓《せん》抜《ぬ》けば
餓ゑたる腹に沁《し》むがかなしも

かなしきは
喉《のど》のかわきをこらへつつ
夜寒《よざむ》の夜具にちぢこまる時

一度でも我に頭を下げさせし
人みな死ねと
いのりてしこと

我に似し友の二人《ふたり》よ
一人は死に
一人は牢《らう》を出《い》でて今|病《や》む

あまりある才を抱《いだ》きて
妻のため
おもひわづらふ友をかなしむ

打明けて語りて
何か損《そん》をせしごとく思ひて
友とわかれぬ

どんよりと
くもれる空を見てゐしに
人を殺したくなりにけるかな

人並《ひとなみ》の才《さい》に過ぎざる
わが友の
深き不平もあはれなるかな

誰《たれ》が見てもとりどころなき男来て
威張《ゐば》りて帰りぬ
かなしくもあるか

はたらけど
はたらけど猶《なほ》わが生活《くらし》楽にならざり
ぢっと手を見る

何もかも行末《ゆくすゑ》の事みゆるごとき
このかなしみは
拭《ぬぐ》ひあへずも

とある日に
酒をのみたくてならぬごとく
今日《けふ》われ切《せち》に金《かね》を欲《ほ》りせり

水晶《すゐしやう》の玉をよろこびもてあそぶ
わがこの心
何《なに》の心ぞ

事もなく
且《か》つこころよく肥《こ》えてゆく
わがこのごろの物足らぬかな

大いなる水晶の玉を
ひとつ欲《ほ》し
それにむかひて物を思はむ

うぬ惚《ぼ》るる友に
合槌《あひづち》うちてゐぬ
施与《ほどこし》をするごとき心に

ある朝のかなしき夢のさめぎはに
鼻に入《い》り来《き》し
味噌《みそ》を煮《に》る香《か》よ

こつこつと空地《あきち》に石をきざむ音
耳につき来《き》ぬ
家《いへ》に入《い》るまで

何がなしに
頭《あたま》のなかに崖《がけ》ありて
日毎《ひごと》に土のくづるるごとし

遠方《ゑんぱう》に電話の鈴《りん》の鳴るごとく
今日《けふ》も耳鳴る
かなしき日かな

垢《あか》じみし袷《あはせ》の襟《えり》よ
かなしくも
ふるさとの胡桃《くるみ》焼《や》くるにほひす

死にたくてならぬ時あり
はばかりに人目を避《さ》けて
怖《こは》き顔する

一隊の兵を見送りて
かなしかり
何《なに》ぞ彼等のうれひ無《な》げなる

邦人《くにびと》の顔たへがたく卑《いや》しげに
目にうつる日なり
家にこもらむ

この次の休日《やすみ》に一日寝てみむと
思ひすごしぬ
三年《みとせ》このかた

或る時のわれのこころを
焼きたての
麺麭《ぱん》に似たりと思ひけるかな

たんたらたらたんたらたらと
雨滴《あまだれ》が
痛むあたまにひびくかなしさ

ある日のこと
室《へや》の障子《しやうじ》をはりかへぬ
その日はそれにて心なごみき

かうしては居《を》られずと思ひ
立ちにしが
戸外《おもて》に馬の嘶《いなな》きしまで

気ぬけして廊下《らうか》に立ちぬ
あららかに扉《ドア》を推《お》せしに
すぐ開《あ》きしかば

ぢっとして
黒はた赤のインク吸ひ
堅くかわける海綿《かいめん》を見る

誰《たれ》が見ても
われをなつかしくなるごとき
長き手紙を書きたき夕《ゆふべ》

うすみどり
飲めば身体《からだ》が水のごと透《す》きとほるてふ
薬はなきか

いつも睨《にら》むラムプに飽《あ》きて
三日《みか》ばかり
蝋燭《らふそく》の火にしたしめるかな

人間のつかはぬ言葉
ひょっとして
われのみ知れるごとく思ふ日

あたらしき心もとめて
名も知らぬ
街など今日《けふ》もさまよひて来《き》ぬ

友がみなわれよりえらく見ゆる日よ
花を買ひ来《き》て
妻《つま》としたしむ

何《なに》すれば
此処《ここ》に我ありや
時にかく打驚《うちおどろ》きて室《へや》を眺むる

人ありて電車のなかに唾《つば》を吐《は》く
それにも
心いたまむとしき

夜明けまであそびてくらす場所が欲《ほ》し

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