ノ写し取るところに妙味があるのを知っている役人は、もっともな申出だとして、御鶏を貸し与えた。御鶏は羽の色が純白で、そこらに見られない高価な珍らしいものだった。
記内は大喜びで、その鶏を仕事場の近くに放った。鶏はしかつめらしい顔つきで、餌を拾いながら、気取った足どりであちこち歩き廻った。
「おい、そんなに気取るなよ。御殿のお庭より、こちとらの門先の方がどんなにか気儘でよかろうというものだ。もっとのんびりとしていてくれよ。」
記内はこんな冗談口をききながら、わき眼もふらないで鶏の動作を見つめていた。側にはいつものように酒徳利が置いてあった。記内は楽しそうにちびりちびりそれを飲みつづけていた。
肝腎の鍔が出来ないうちに、記内は毎日飲み溜めた酒の払いに困るようになった。きびしい酒屋の催促に、記内は堪りかねて、持前のずぼらな性分から、御貸下の鶏を売り飛ばしてしまった。
珍しい純白な鶏は、間もなくまた殿様のお手もとに買い戻されていた。記内の仕業はお上を憚らぬ不敵な振舞だというので、厳重に謹慎をいい渡された。
ある日、役人の一人がその後の様子を見に記内の家を訪ねた。この鍔作りの名人は戸を閉て切った仕事場のなかで、相も変らず酒に酔っぱらってごろ寝をしていた。
「これは何というざまだ、ほんとうに呆れ返ってしまう。」役人は酒臭い記内を揺り起こしながらいった。「これ、そんなに寝てばかりいないで、早く眼を覚まさんか。お上のお免しを得るには、御注文の品を打ち上げるより外にはないということが、お前には分らんか。」
「寝る、寝るといわれるが、遠慮を申しつけられたのでは、寝るより外には仕方がないのじゃからな。」
記内は独語のようにぼやいて、やっと起き上った。そしてとろんこの眼で役人の顔を見つけると、不足そうな微笑をうかべた。
「そんなにいわれるなら、これから仕事に取りかかろうから、もう一度あの鶏をお貸下げが願いたいものだな。」
「それはならぬ。お前のことじゃもの、また御鶏を酒手に代えまいものでもない。」
記内は大声で笑い出した。
「は、は、は、は。そんなに心配だったら、お前様が附添になってござらっしゃればいいじゃないか。」
「なるほどな……」
役人はいわれた通りに、まさかの時の用意に、自分が附添って御鶏を記内の仕事場に連れ込んだ。御鶏は油断のならぬ顔つきで、横眼で記内の方を盗み見ながら、横柄にそこらを歩きまわっていた。
記内は腕を拱んで、側眼もふらずじっとそれに見とれていたが、気に入った鶏の姿態が眼に入ると、
「あ、これだ。これだ。」
と叫ぶようにいって、眼の底に焼きつけられた形をそのまま、すぐに仕事にとりかかった。
間もなくすばらしい鶏の鍔が出来上った。御褒美の一つとして、羽の白い鶏の一つがいが記内のもとに下げられた。記内はそれを見向うともしなかった。
「お鶏か。折角だが、お前にはもう用はないのだ。」
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驢馬
1
驢馬は愛すべきものの一つだ。馬のように気どらないで、薄のろなところが愛嬌があっていい、脚の運びが遅いのも、小児や老人の乗ものとして、恰好でこそあれ、少しも非難すべきいわれはない。とりわけ都合がいいのは、馬に比べて背が低いので、どうかした拍子に誤って落馬するとき、腰などしたたかに打つ心配がないことだ。落馬のときのことなど心配すると、今の人はおかしがって笑い出すかも知れないが、むかし池大雅は、旅行のとき、宿場宿場でよく馬に乗ることがある。そんな時に落馬の心がけがなかったら、ものの拍子で怪我をするかも知れないといって、わざわざその道の人について、馬から落ちる法を稽古したものだ。それを思うと、私が驢馬のことにつけて、すぐに落馬の場合を思いついたのに、少しも間違がないことが解るだろう。
2
支那の明代の末に、徐枋という気品の高い画家があった。節義のために死んだ父の遺言を守って、一代に肩を比べるもののないほどの学才を持ちながら、役にもつかないで、一生を門を閉じて暮した人だったが、この人が飼っていた驢馬は、大変もの分りがよく、
「あの馬は、すっかり人間のいうことが分るようだ。」
という評判をとったほどのものだった。
寡慾で、貧乏だった徐枋は、家に食うものといっては何一つなくて、ひもじい目をすることがよくあった。そんな折にはこの画家は、即興の画なり書なりをしたため、それを籠に入れて、しっかりと驢馬の背に結びつけたものだ。すると、この評判の怜悧ものは、門を出るなり、側目もふらないで、一散に程近い町の方へ走って往った。そして巧みにひとごみのなかを分けながら、市場の前まで歩いて来て、ぴたりとそこへ立ちとまった。
「ほら、徐先生のお使が来た。きっとまたお急ぎの御用だぞ。」
それを見つけた町の人は、いつものことなので、てんでに走り寄って、籠のなかから書画を持ち出し、自分たちの気に入ったものを選び取った。そしてその代りに米や魚や野菜を、しこたまそのなかに運び入れることを忘れなかった。
籠が一杯になると、驢馬は市場を後に、もと来た道を道草も喰わないで、静かに帰って往った。
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遊び
1
すべて画家とか、彫刻家とかいう人たちのなかには、いろんな動物を飼って、その習性なり、形態なりを研究し、写生するのがよくある。
与謝蕪村の門弟松本奉時という大阪の画家は、ひどく蛙が好きで、方々からいろんな種類を集めて、それを写生したり、鳴かせたりして喜んでいた。それだけに、長い間には珍らしいのを見つけることも少くはなかったが、あるとき、三本足と六本足の蛙を見つけて、これこそ後の世に伝えなければならぬと、筆をとってこくめいに写生したものが、今に残っているということだ。
2
長崎東福寺の住職東海和尚は、画の方でもかなり聞えた人で、よく河豚を描いて人にくれたりしていたが、ほんとうのところは、まだ一度もこの魚を見たことがなかった。
あるとき、和尚は海辺を通って、潮の引いたあとの水溜に、二、三びきの小魚を見つけたことがあった。
「何だろう、可愛らしい小ざかなだな。」
和尚は水溜の側にしゃがんで、暫く魚のそぶりに見とれていたが、ふとちょっかいが出してみたくなって、手を伸べて魚の尻っ尾を押えようとした。魚は怒って山寺の老和尚のように、腹を大きく膨らませたかと思うと、急に游ぎがむつかしくなって、水の上にひっくりかえって、癲癇持のように泡をふき出した。その恰好は自分がいつも画に描きなれている河豚にそっくりだった。
「河豚だ。河豚だ。こいつおもしろい奴だな。」
和尚は笑いながら、はち切れそうな魚の腹を指先でちょっと弾いてみたりした。
「和尚さま、何してござるだ。そんな毒魚《どくうお》いじくって……。」
だしぬけに肩の上から太い声がするので、和尚はうしろを振り返った。そこにはこのあたりのものらしい漁師の咎め立てするような苦い顔が見つかった。
「わしか。わしはちょっと仲のいい友達と遊ばしてもらっていたばかりじゃ。」
和尚はこういって、河豚と遊ぶのを少しもやめなかった。その態度には、好きな遊戯に夢中になっている小児の純一さがあった。
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古本と蔵書印
本屋の息子《むすこ》に生れただけあって、文豪アナトオル・フランスは無類の愛書家だった。巴里《パリ》のセイヌ河のほとりに、古本屋が並んでいて、皺くちゃな婆さん達が編物をしながら店番をしているのは誰もが知っていることだが、アナトオル・フランスも少年の頃、この古本屋の店さきに立って、手あたり次第にそこらの本をいじくりまわして、いろんな知識を得たのみならず、老年になっても時々この店さきにその姿を見せることがあった。フランスはこの古本屋町を讃美して、「すべての知識の人、趣味の人にとって、そこは第二の故郷である。」と言い、また「私はこのセイヌ河のほとりで大きくなった。そこでは古本屋が景色の一部をなしている。」とも言っている。彼はこの古本屋から貪るように知識を吸収したが、そのお礼としてまたいろいろな趣味と知識とを提供するを忘れなかった。――というのは外のことではない。彼が自分の文庫に持てあました書物を、時折この古本屋に売り払ったことをいうのだ。
一度こんなことがあった。――あるときフランスは来客を書斎に案内して、自分の蔵書を一々その人に見せていた。愛書家として聞えている割合には、その蔵書がひどく貧しく、とりわけ新刊物がまるで見えないのに驚いた客は、すなおにその驚きを主人に打ちあけたものだ。すると、フランスは、
「私は新刊物は持っていません。方々から寄贈をうけたものも、今は一冊も手もとに残していません。みんな田舎にいる友人に送ってやったからです。」
と、言いわけがましく言ったそうだが、その田舎の友人というのが、実はセイヌ河のほとりにある古本屋をさしていったのだ。
そのフランスを真似るというわけではないが、私もよく読みふるしの本を古本屋に売る。家が狭いので、いくら好きだといっても、そうそう書物ばかりを棚に積み重ねておくわけにも往かないからである。
京都に住んでいた頃は、読みふるした本があると、いつも纏めて丸太町川端のKという古本屋に売り払ったものだ。あるとき希臘《ギリシャ》羅馬《ローマ》の古典の英訳物を五、六十冊ほど取揃えてこの本屋へ売ったことがあった。私はアイスヒュロスを読むにも、ソフォクレエスを読むにも、ピンダロスやテオクリトスを読むにも、ダンテを読むにも、また近代の大陸文学を読むにも、英訳の異本が幾種かあるものは、その全部とは往かないまでも、評判のあるものはなるべく沢山取寄せて、それを比較対照して読むことにしているが、一度読んでしまってからは、そのなかで自分が一番秀れていると思ったものを一種か二種か残しておいて、他はみな売り払うことにきめている。今Kという古本屋に譲ったのも、こうしたわけで私にはもう不用になっていたものなのである。
それから二、三日すると、京都大学のD博士がふらりと遊びに来た。博士は聞えた外国文学通で、また愛書家でもあった。
「いま来がけに丸太町の古本屋で、こんなものを見つけて来ました。」
博士は座敷に通るなりこう言って、手に持った二冊の書物をそこに投り出した。一つは緑色で他の一つは藍色の布表紙だった。私はそれを手に取上げた瞬間にはっと思った。自分が手を切った女が、他の男と連れ立っているのを見た折に感じる、ちょうどそれに似た驚きだった。書物はまがう方もない、私がK書店に売り払ったなかのものに相違なかった。
「ピンダロスにテオクリトスですか。」
私は二、三日前まで自分の手もとにあったものを、今は他人の所有として見なければならない心のひけ目を感じながら、そっと書物の背を撫でまわしたり、ペエジをめくって馴染のある文句を読みかえしたりした。
「京都にもこんな本を読んでる人があるんですね。いずれは気まぐれでしょうが……」
博士は何よりも好きな煙草の脂《やに》で黒くなった歯をちらと見せながら、心もち厚い唇を上品にゆがめた。
「気まぐれでしょうか。気まぐれに読むにしては、物があまりに古すぎますね。」
私はうっかりこう言って、それと同時にこの書物の前の持主が私であったことを、すなおに打明ける機会を取りはずしてしまったことを感じた。
「それじゃ同志社あたりに来ていた宣教師の遺愛品《ビクエスト》かな。そうかも知れない。」
博士は藍表紙のテオクリトスを手にとると、署名の書き入れでも捜すらしく、前附の紙を一枚一枚めくっていたが、そんなものはどこにも見られなかった。
私は膝の上に取残されたピンダロスの緑色の表紙を撫でながら、前の持主を喘息か何かで亡くなった宣教師だと思い違いせられた、その運命を悲しまぬわけに往かなかった。
「宣教師だなんて、とんでもない。宣教師などにお前がわかってたまるものかい。――だが、こんなことになったのも、俺が蔵書印を持合さなかったからのことで。二度とまたこんな間違いの起
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