fを感じるのも、不思議なことの一つである。
鳳仙花の種子を採集するには、蟋蟀を捉えるのと同じ程度の細心さがなくてはならない。なぜかというに、この草の実は苞形《つとがた》の外殻《から》に包まれていて、この苞の敏感さは、人間の指さきがどうかした拍子にその肌に触れると、さも自分の清浄さを汚されでもしたかのように急に爆ぜわれて、なかに抱いている小坊主の種子を一気に弾き飛ばしてしまうからだ。苞ぐるみ巧くそれを※[#「てへん+劣」、第3水準1−84−77]ぎとったところで、どうせ長もちはしないに極っているが、手のひらのなかで苞の爆ぜるのを感じるのは、ちょっとくすぐったいもので、蟋蟀のように刺《とげ》だらけの脛《すね》で、肌を蹴飛ばしたりしないのが気持がいい。
のっぽな露西亜種の向日葵が、野球用の革手袋《ミット》を思わせるような大きな盤の上に、高々と大粒な実を盛り上げて、秋風に吹かれているのは哀れが深い。秋から冬へかけて、シベリヤを旅行した人の話を聞くと、あの辺の子供たちは、雪の道を学校への往き復りに、隠しの中からこの草の実の炮じたのを取り出しては、ぽつりぽつりと噛っているそうだ。そろそろ粉雪のちらつく頃になると、好きな虫けらも見当らないので、そこらの雀という雀は、余儀なく菜食主義者とならなければならない。脂肪の多い向日葵の実は、この俄仕立《にわかじたて》の青道心《あおどうしん》のこの上もない餌となるので、それを思うと、私はこの種子を収める場合に、いつも余分のものをなるべく多く貯えなければならなくなる。
けばだった鶏頭の花をかき分けて、一つびとつ小粒の実を拾いとるのは、やがて天鵞絨《ビロード》や絨氈の厚ぼったい手ざわりを娯むのである。からからに干からびた紫蘇の枝から、紫蘇の実をしごきとる時、手のひらに残ったかすかな草の香を嗅ぐと、誰でもが何とはなしにそれと言葉には言いつくし難い哀愁を覚えるものである。枯れた蔓にぶら下って、秋を観じている小瓢箪の実が、いつのまにか内部に脱け落ちて、おりふしの風にからからと音を立てながらも、取り出すすべのないのも、秋のもどかしさである。
糸瓜の実が尻ぬけをしたあとを、何心なく覗き込み、細かい繊維の網から出来上った長い長い空洞が、おりからの秋天の如く無一物なのに驚いて、声を放って哄笑するのも、時にとっての一興である。
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赤土の山と海と
私の郷里は水島灘に近い小山の裾にある。山には格別秀れたところもないが、少年時代の遊び場所として、私にとっては忘れがたい土地なのだ。
山は一面に松林で蔽われている。赤松と黒松との程よい交錯。そこでなければ味われない肌理《きめ》の細かい風の音と、健康を喚び覚させるような辛辣な空気の匂とは、私の好きなものの一つであった。
メレジュコオフスキイの『先駆者』を読むと、レオナルド・ダ・ヴィンチが戦争を避けて、友人ジロラモ・メルチの別荘地ヴァプリオに泊っている頃、メルチの子供フランチェスコと連れ立って、近くの森のなかを見て歩く条がある。少年は若芽を吹き出したばかりの木立のかげで、この絶代の知慧者から、自然に対する愛と知識とを教えられているが、こういう指導者を持たなかった私は、いつもたった一人でこの松山を遊び歩いた。そして人知れず行われている樹木の成長と、枯朽とを静かに見入ったり繁みの中から水のように滴り出る小鳥の歌にじっと聴きとれたりした。一葉蘭《いちようらん》が花と葉と、どちらもたった一つずつの、極めて乏しい天恵の下に、それでも自分を娯しむ生活を営んでいるのを知り、社交嫌いな鷦鷯《みそさざい》が、人一倍巣を作ることの上手な世話女房であるのを見たのも、この山のなかであった。フランチェスコは森の静寂のなかで、レオナルドの鉄のような心臓の鼓動を聞きながら、時々同伴者の頭の縮れっ毛や、長い髯が日に輝いているのを盗み見て、神様ではなかろうかと思ったということだが、私も偶に自分の背後や横側で、黒い大きなものが、自分と同じような身振で物に見とれ聞きとれているのを見て、思わずびっくりしたことがあった。それは山の傾斜に落ちている私の影だった。
私はそんなことにも倦むと、山のいただきにある大きな岩の背に寝転んだ。そして自分の上に拡がっている大きな藍色の空をじっと見入った。空にはよく鳶の二、三羽が大幅な輪を描いて舞っていた。私のとりとめない空想は、その鳶の焦茶色に光った翼に載せられて空高く飛んだものだが、どうかすると鳥の描く輪は、次第々々に横に逸れて、いつのまにか私の視野から遠ざかってしまうことがないでもない。振り落された私の空想は、あぶなくもんどりうってまた私のふところに帰って来た。
私はまた海にもよく往った。多くの場合水島灘の浪は女のように静かだった。私は岸の柔かい砂の上に腰をおろして、眼の前を滑って往く船の数をよんだりした。船はいずれも白鳥の翼のような白い帆を張っていた。そして少年のとりとめのない夢を載せて、次から次へと島々のかげに隠れて往った。
海が遠浅なので、私はよく潮の退いた跡へおり立って、蝦や、しゃこや、がざみや、しおまねぎや、鰈や、いろんな貝などを捕った。私はこれらのものの水のなかの生活に親しむにつれて、山の上の草木や、小鳥などと一緒に、自分の朋輩として彼らに深い愛を感ずるようになった。そしてこの世のなかで、人間ばかりが大切なものでないことを思うようになった。
あの小高い赤土の松山と遠浅の海と。――思えばこの二つは、私の少年時代を哺育した道場であった。
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糸瓜と向日葵
八月――日。畑に植えた長糸瓜は、釣上げられた鰻のように、長いからだをだらりと棚からぶら下げている。地べたとすれすれに尖った尻をふっている。一番剽軽で、そして一番長そうな奴を手で押えて、物尺であたってみたら、七尺近くもあった。
糸瓜棚の上に、一、二尺も長い首を持ち上げて、お盆のように大きな花を咲かせていた向日葵は、いつの間にか金の花びらをふるい落して、その跡にざらざらの実を粒立たせているのが見える。立秋からもう十日も経っているのに、相変らず暑い。
K氏来訪。開け放った応接室の窓越しに、ちらと畑の方へ眼をやりながら言った。
「あの向日葵はロシヤ種でしょう。あの実をロシヤ人が噛み割る方法を御存じですか。」
「いや、知りません。どんなにします。」
「それがおかしいんです。まず向日葵の実を一つ歯の間に噛んでおいて、そして……。」K氏は大きな両手でもって妙な恰好をしてみせた。「左の手で頭のてっぺんを押えつけて、右の掌面でいきなり強く下顎をこづき上るんです。こうやって。いかにもロシヤ人らしい食べ方でしょう。」
私はそれを見て、思わず噴き出した。
「まさか……。」
「いや、ほんとうのことですよ。」K氏は不足らしく言った。「私は独逸《ドイツ》の田舎の停車場で、若いロシヤの労働者が、柵にもたれてそれをやっているのを見たんです。嘘だとお思いなら、その時一緒にいた私の友人の独逸人に訊いてみて下さい。」
「その独逸人は、どこにいるんです。」
私は物ずきにも訊いてみた。
「今|伯林《ベルリン》にいますよ。」
K氏が帰った後へ入れかわりにB夫人来訪。夫人は信神の念のあつい妙好人である。
午すぎの室のうちは、息苦しいほどに熱かった。私は夫人と差向いに四方山の話をしているうちに、夫人が時々それとなく窓の方へ眼をやって、いかにも楽しそうに、
「どうもありがとうございます。」
と、口のなかで小声に言って、ちょっと会釈しているのに気づいた。それが私の談話に対するうけ答えでないのはいうまでもないこと、どうかすると、私の存在をも忘れさせるような、眼に見えない第三者が窓越しに立っていて、それに対する挨拶とも見えるようで、何だかちょっと不気味だった。私は訊いてみた。
「何を言ってらっしゃるの。さっきから。」
「お礼を申し上げてるんですわ。」夫人は小娘のようにちょっと含羞んだ。「あまりお涼しい風が、吹き込んでまいりますもんですから。」
「そんなことまで一々言葉に出して、お礼を言わなければならないんですか。黙って感謝していてもよかりそうなものだのに。」
「いいえ。私達の神様は、人間の感謝が歓喜《よろこび》の声となって、大げさに告白されるのを、大層およろこびになりますよ。」夫人はきっぱりと言った。「黙っていたのでは、かえってお気に召さないんです。神恩《おかげ》は小さくとも、大よろこびでお礼を申上げますと、次にいただけますものは、もっと大きうございます。」
「そこに多少の虚偽が含まれてはいないでしょうか。」
「多少の虚偽はあっても構いません。おかげを喜ぶ度合が強くさえありましたら、嘘から真実が生れ、二二が五ともなれば、七ともなるのでございますよ。」
B夫人はこう言って、ふと窓越しに外へ眼をやったが、糸瓜棚にだらりとぶら下った長糸瓜を見ると、思わず声を高めた。
「まあ、長い糸瓜ですこと。たんとおかげをいただいてますのね……。」
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落梅の音
今年は梅雨前には、雨がひっきりなく降り続いたが、肝腎の梅雨に入ってからは毎日の好天気で、自分の住まっている近くの水田なども水不足で、田植が延びがちになり、宵ごとに聞く蛙の声も何となく力がなかったが、六月も末になってから雨は降り出した。
初めはしとしとと降り出した雨が、やがて底を抜いたような土砂降りとなり、それが二日も三日も四日も五日も、どうかすると九日も十日も降り続くと、天地は雨の光と影と響とに圧倒されて、草も、木も、鳥も、獣も、野も、山も、また人間も、まるで小さな魚のように、押流されてしまいそうな、危っかしい気持を抱かせられる。この危っかしさを孕んでいるのが梅雨の雨の特徴で、芭蕉の
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さみだれを集めて早し最上川
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という句を読んで、岸を浸さんばかりの濁り水が、矢のように早く走っているのを想像して、眼が眩いそうになるまでに水の力に驚くのも、この危さの気持を感ずるからである。蕪村の
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さみだれや大河を前に家二軒
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も、またこの危さの美を外にしては味われぬ句である。いつの年でも梅雨に入ってどしゃ降りの大雨に、不安な危っかしさを抱かせられる度ごとに、私は喩えがたい一種の快感を覚えぬわけには往かない。
幾日か降り続いた雨が、やがて降りくたびれた頃は、凡兆のいう
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この頃は小粒になりぬ五月雨
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で、長雨と大雨の憂鬱と不安とから救い出された、激情の後のぐったりした疲れから産れる明るさといったようなものが、分毎に、秒毎に度を加えて来るのもこうした時である。
また降り続き、降り暮らした雨が、いつか夜になって人の寝静まった後に、こっそり霽れて、それがちょうど月のある頃で、庭木の影が水のように窓障子に浮んでいるのを、ふと眼が覚めて見る驚きなども、梅雨でなくては得られない趣である。
月の無い、まったくの闇の一夜、夜が更けて寝つかれないでいると、さきがたから降り細った雨はいつしか止んで、草木という草木は、雫のたれる濡れ髪を地べたに突伏したまま、起き上る力もなく、へとへとになっている静かさの底で、ぽたりと何物か地べたに落ちるのを聞きつけることがよくある。
熟梅《うみうめ》の一つが枝を離れた音である。
私はどんなときでもこの音を聞きつけると、梅の実が自分の心の深みに落ちて来たかのような、驚きとなつかしみとを感ずる。なに一つ動かない閑寂そのものの微かな溜息が、樹の枝を離れて、真っ直に私の生命の波心にささやきに来たような感じである。
むかし小堀遠州は、古瀬戸の茶入「伊予すだれ」を愛玩して、これを見ると、心はいつでも「わび」を感じるといって、暫くの間も座右を離さなかった。その子権十郎はまたその小壺に書きつけをして、
「昔年亡父孤蓬庵主小壺をもとめ、伊予すだれと名づけ、その形たとへば編笠といふものに似
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