って、役を罷めて故郷に帰ったということだ。

 それを思うと、上方《かみがた》地方に住んで、朝夕を採り立ての苺を食べ馴れている人達は、滅多に土地を離れて、天国にも旅立ちが出来ないわけだ。なぜというのに、天国にはそのむかしエバが盗んだ林檎の樹が立っている。もしかその実を見て、汪※[#「王+宛」、第3水準1−88−10]のように、故郷へ帰りたくなっては大変だから……
[#改ページ]

   草の汁

 この頃野へ出てみると、いろんな草が芽を出し、葉を出している。長い間つめたい土にもぐっていたものが、久しぶりに明るい暖かな世界へ飛び出して来たので、神経の先々まで喜びに顫えているようだ。太陽が酔っ払いであろうが、無頼漢《ならずもの》であろうが、そんなことには頓着なく、草はみな両手を差し上げている。
 春の朝、生れたばかりのこの雑草が、露に濡れているのを見ていると、どの葉も、どの若芽もが、皆|生《なま》のままで食べられそうに思われるものだ。物好きの人達のなかには、そんなことから思いついたものか、春の遊びの一つとして、よく草の葉を食べあるく催しをしたものがあった。
 それにはまず、味噌を盛った小皿
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