V7]ぎ口から絶えず乳を滴らす無花果、蜜柑、紅玉のような柿。――支那花鳥画の名手徐熙の孫で、花卉を描くのに初めて没骨法を用いたというので知られている徐崇嗣は、豊熟した果実の枝を離れて地に墜つる状を描いて、その情趣を髣髴せしめたということだが、私は果実の大地に墜ちる音を聞くのが好きだ。人気もない林の小径に立って、笑み割れた落栗の実が、一つ二つ枯葉の上に落ちるのを聞くのは、秋に好ましいものの一つである。
 日が暮れると、青白い月が顔を出して来る。安住の宮を求めて、東より西へと絶えずさすらい歩く天上の巡礼者が、足音も立てず静かに森の上に立つと、そこらのありとあらゆるものは、行いすました尼の前に出たように、しっとりと涙の露に濡れながら、昼間見て来たことをも一度心のうちに繰り返し、繰り返して、それぞれ瞑想に耽るのである。
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   秋の佗人

 二日二夜の間びしょびしょと降りつづけた秋雨は、三日目の朝になって、やっと霽《は》れあがった。樹々の葉からは、風もないのに雨のしずくがはらはらとこぼれかかった。石灯籠の下にある草柘植《くさつげ》を少し離れて、名も知らない小さな菌《きのこ》が二かたまり生えているのが眼についた。昨日の夕方、雨の庭を眺めたときには、それらしい影も形も見えなかったのに……。
 京都の三条大橋の東に檀王法林寺というお寺がある。そこの境内から川端へ抜けるところに赤門があり、夕方になると閉されるが、いつ締まるのか誰もそれを見かけたものがない。川向うの上木屋町あたりで若い妓《おんな》たちが、この門の締まるのを見ると、有卦に入るといって、欄干にもたれてじっとそれを待っているが、見ているときには締まらないで、ちょっと眼を外《そ》っ方《ぽう》に逸らした時に、ちゃんと閉じられているということだ。
 ちょうどそのように、誰の眼にも気づかれないうちに、菌はひょっこりと地べたに飛出している。うるさい人間の「おせっかい」と「眼」との隙を見つけて、そこにほっと呼吸をついているといったように。
 このわび人たちは、仲間にはぐれないように互に肩をくっつけ合い、蓋《かさ》を傾け合って、ひそひそ声で話している。時偶庭木の葉を洩れて、日光がちらちらと零《こぼ》れかかると、菌たちはとんでもない邪魔ものに闖入せられたかのように、襟もとを顫わせて嫌がっている。わび人はわび人らしく、じめじ
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