゚した湿地と薄暗がりとを娯しんでいるのだ。
そこらに着飾って立つ花のように、縞羅紗のズボンをはき、腰に剣をさした若い騎士の蜂が、ちょくちょく訪ねて来るのでもない。誰一人その存在を気づかず、偶にそれと知っても、その微かな呼吸に籠る激しい「毒」を恐れて、それに近づこうともしない。こうして与えられた「孤独」を守って、彼らはそこに自分たちの生命をいたわり、成長させている。
いたずら盛りの子供が、幾度か棒切を持って、この小さなわび人たちを虐げようとしたことがあった。その都度私は彼をたしなめて、その「孤独」を庇ってやった。
二、三日してまた雨が降った。雨の絶間にふと気づくと、菌はもう見えなかった。揃いの着付に揃いの蓋を被っていたこのわび人たちの姿は、どこにも見られなかった。
彼らは誰にも気づかれないで来たように、誰にも気づかれないで去ったのである。
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草の実のとりいれ
収穫《とりいれ》といえば、すぐに晩秋の野における農夫の労働生活が思われる。これは激しい汗みずくな、しかしまた楽みにも充ちたものである。草の実の採入れは、それとは趣の異った、暢気な、間のぬけた、ほんのちょっとした気慰みの仕事に過ぎないが、それでも、そのなかに閑寂そのものの味が味われないこともない。
秋の彼岸前後になると、懐妊した女の乳のように、おしろい花の実が黒く色づき初める。それを撮み取ろうとすると、円い実は小さな生物か何ぞのように、こざかしく指の間を潜りぬけて、ころころと地べたに転がり落ちる。人間の採集がほんの気紛れからで、あまりあてにはならない事をよく知っている草の実は、こうして人間のおせっかいから遁れて、われとわが種子を保護するのである。それを思うと、落葉の下、土くれの蔭までもかき分けて、落ちたおしろいの実の行方をさがすなどすまじき事のように思う。
おしろいの実を掌に取り集めると、誰でもがその一つ二つを爪で割ってみたくなるものだ。中には女が化粧につかうおしろいのような白い粉が一ぱいにつまっている。小供の時もよくそうして割ってみた。大人になって後もなお時々割ってみる事がある。自然はいかさまな小商人《こあきんど》のように、中味を詰め替える事をしないので、今もむかしのものと少しも変らない、正真まざりっ気なしのおしろいの粉が、ほろほろとこぼれかかる。この小さな草の実にこうした誘
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