自分の良人を軽く見るやうになりました。平尾氏はそれに少しも気がつきませんでした。
 さうかうするうちに、平尾氏の持病である肺病がだんだん進んできて、自分の職業にも離れなければならなくなりました。やがて暗い、陰気な、貧しい日が続きました。血色のいい、はち切れさうな肉体をした、健康なOさんは、良人の病気とその苦痛とに対してあまり同情が持てないのみか、時とすると反感をさへ催すことがあるのを自分で知りました。しかも平尾氏は妻を信じ切つて、少しも疑ひませんでした。
 藝術を捨てたのではなかつたが、不治の病気を抱いて、死に直面した平尾氏は、藝術よりもむしろ神の救ひを欣求《ごんぐ》しました。で、京都に来て同志社神学校に入りました。法悦を求めて精進してゐる間、二度も三度も咯血《かつけつ》しました。そのうち、Oさんの衣服が一枚二枚と少なくなつてゆくに気がついた平尾氏は、理由《わけ》を訊きました。Oさんは何気ない調子で答へました。
「曲げたんですわ、貴方の薬代や何かの足しにと思つて」
 平尾氏は感謝の念に打たれないではゐられませんでした。そのうち氏が病気を推して書いた脚本が、読売新聞社の懸賞募集に当選して
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