の跡だといつて、壞れかかつた鐘樓と掘立小屋のやうな御堂の他には、何一つ殘つてゐるのではない。荒廢もかうまでなると、惚れ惚れとむかしをなつかしがらせるやはらかい情調は枯れてしまつて、直ぐに人間と自然との窮極の運命を思はせようといふ、露骨な強迫が見えて來る。
むかしここに榮えた人達が後に殘した藝術と信仰と、その後に出て來た破壞者の無遠慮な破壞の痕は、皆草に埋れてしまつて、人間の努力のどうせ無駄に過ぎない事を語つてゐる。ここに來て氣持のいいのは、美しいものと、それを滅ぼした人間のある力と、どつちも消えてすつかり跡方が無くならうとしてゐる事だ。名高い飛鳥の大佛といふのは、今安居院に殘つてゐる丈六の銅像の事で、お堂の構を少しも取り壞さないで、あれだけの大佛を入れたのは、世にも不思議な手練だと言ひ傳へられてゐる。實際その時代の知識で、萬が一にも出來ないと信じてゐた事を仕遂げたのは驚嘆すべき不思議で、人間の努力の極致を『可能』に一を加へたものだとすれば、安居院の狹苦しい御堂に丈六の佛を入れたのは、その極致の象徴として見る事が出來る。――が、それももうこんなに荒れてしまつて、むかしの努力の跡といつた
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