、楊次公は呻くやうに言つた。
『ほんたうにさうだ。私だつて愛する…………』
 そしてすばしこく相手の手からその石をひつ攫《さら》つたかと思ふと、獣のやうな狡猾さと敏捷さとをもつて、いきなり外へ駆け出して往つた。
 門の外には車が待たせてあつた。楊次公はそれに飛び乗るが早いか、体躯《からだ》中を口のやうにして叫んだ。
『逃げろ。逃げろ。早く、早く……』

     二

 明国の末に瞿稼軒といふ忠節の人があつた。倒れかかつた国家の柱石として、いろいろ復興の画策につとめたが、時の勢はどうすることもできないで、守つてゐる城は、清兵のために攻め落されて、自分は捕虜の身となつた。
 彼は舁がれて独秀山の山路を通りかかつた。ふと、大きな樹の蔭に見馴れない変つた形をした石が生き物のやうにかいつくばつて、醜い顔で天をふり仰いでゐるのを見た。彼は自分を舁いでゐる兵卒を呼びとめた。
『おい。一寸ここにおろしてくれ。あの不思議な石が眼についたから。』
 彼はつねから庭石が好きだつたので、今捕虜として舁がれて往く途中でも、石を見つけてはそのまま別れてゆくに忍びなかつたのだ。
 兵卒は承知した。地べたにおろされ
前へ 次へ
全5ページ中4ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
薄田 泣菫 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング