西大寺の伎藝天女
薄田泣菫
−−
【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)煤塗《すすまみ》れ
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「弗+色」、第3水準1−90−60]《むく》れて
−−
私は西大寺をたづねて、一わたり愛染堂の寶物を見終つた。
「寶物はもうこれでお終ひどす。」
と、ぶつきら棒に言ひすてたまま、年つ喰ひの、ちんちくりんな西大寺の小僧は、先へ立つてさつと廊下へ出掛けて行つたが、つとまた後がへりをして、
「あ、忘れとりました。此處におゐでやすのが、伎藝天女さんどす。」
薄闇い片隅に向き直つて、小生意氣に大人のやうにぐつと顎をしやくつて見せる。
それは佛像だの、位牌だの、ごたくさと置き竝べたなかに、煤塗《すすまみ》れになつたちつぽけな御厨子で蝶番ひの脱れかかつた隙間から覗いてみると、何やら得態の分らぬ佛體がつくねんと立つてゐる。屈み腰になつてじつと見入らうとするのを、突立つたままもどかしさうに見てゐた小僧は、さすがに氣の毒になつたかして、
「あ、一寸好い事がおすさかい。」
と言つて、すばしこく香盤の側へ飛んで行つたかと思ふと、にこにこもので燐寸《マツチ》を弄くりながら歸つて來た。默つて一本を磨ると、黄いろい光明がぱあつとあたりに射した。
塗の剥れかかつた扉の影を半身に受けながら、輪郭のはつきりした顏が、くつきりと御厨子の暗に浮出して來た。切長の眼は心もち伏目に、ひ弱な火影の煽るに連れて、おどおどした、どうやら少しはにかんだ調子が見える。私はその容子が知人の誰かに似てゐるやうに思つて、まじまじと見入つてゐると、火は容赦なく段々と手元に燃え移つて來たかして、小僧は、
「あつ………………」
と仰山に叫んで、慌てて指につまんだ燃えさしを取り落したので、佛の顏はまたもうす暗い闇ににじみ込んでしまつた。
灯はまた點された。
「どうぞこころもち下げて…………」
と言ふと、小僧は面倒臭いといつた風に、ぐいと手元に押下げる。
…………胸から腰へかけての肉づきは、ふつくりとして如何にも氣持がよい。名高い秋篠寺のそれとは異つて、これは定つた型のやうに左手に天華を捧げ、右手はずつと膝に垂れて、心もち裾をからげてゐる。やはらかい衣の皺襞はするりと
次へ
全3ページ中1ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
薄田 泣菫 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング