腰を滑つて、波のやうに足もとに流れてゐる。色彩の配合を見ようとして、煤ばんだ扉に額を押付けると、灯はまた消えかかる。臆病な小僧はやにはに燃殼を振り捨ててしまつた。――うす暗い闇に黴臭い香氣が、微かに鼻に沁み込んで來る。
私の見たところでは、この佛には別に際立つてこれといふ程の秀れた技術も無ければ、人の心を引き入れるやうな力にも乏しい。が、それでも一度は人間の生活と技能の力の源泉となつた事もあつたのである。しかし今となつては、その力のすべてはまたもとの人間自らに歸つて來て、人はもうさげすんだといつた風な――さうでなくとも、詰らないといつたやうな眼つきをして、この佛達に向ふやうになつて來た。思ふに人間には永久に若からうとする心の傾向が有る。偶像破壞はこれに伴ふ必然の努力で、私達の生活とその周圍とを通じて、どんな時にも、どんな處にも絶えず繰返されてゐる。してみれば、私は道樂者の物好きな眼で、天女の姿を見入つたほかに、も一度虐殺者の氣持をもつて、このみじめな犧牲を見直さなければならぬ。――さうだ、さうでなくて、どこに新人の觀察があらうと、私はまた後を振りかへつた。
「どうかも一度……」
小僧はふくれつ面をして、口の内でぶつくさ呟きながら、やけに火を磨つた。ぱつと明りが射すと、佛の姿は流星のやうに現れて、やがてまたふつと消えてしまつた。さつきから肚の中で少し※[#「弗+色」、第3水準1−90−60]《むく》れてゐた、この年つ喰ひの惡戲者は、三度目の明りは磨るが早いか、すつかり燃え切らないうちに、さつさと放り捨ててしまつたので、燃殼の床にけし飛んだのを、きよときよとした顏つきで、皮膚の硬つぱしさうな踵でそつと踏み消してゐる。
死にかかつた佛の御蔭で、あのちんちくりんな躯を養つてゐる西大寺の小僧は、とんだ所でまぐれあたりに御爲奉公をした譯で、第三の明りでは、私はなんともつかぬあやふやな感じを得たに止まつた。が、しかし世の中はすべてかうしたもので、蝉や小禽の死骸が、滅多に私達の眼に見つからないやうに、神も佛も人知れずこつそり亡くなつてゐるので、お蔭で私達も氣持を惡くせずに濟むのかも知れない。して見れば私は二重にお慈悲を蒙つたやうな次第……………………
私は默つて寺を出て來た。
底本:「現代日本紀行文学全集 西日本編」ほるぷ出版
1976(昭和51)年8月1日初版
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