春菜
薄田泣菫
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)旬《しゆん》はづれ
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号)
(例)周※[#「豈+おおがい」、第3水準1−94−1]
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一
郷里にゐる弟のところから、粗末な竹籠の小荷物が、押潰されたやうになつたまま送りとどけられて来た。
その途端、鼻を刺すやうな激しい臭みが、籠の目を洩れて、そこらにぷんぷんと散ばつて往つた。それを嗅ぎつけると、私はほくそ笑みながら、すぐに自分の手で荷物の縄目を解きにかかつた。
包の中からは採りたてかと思はれるやうな、新鮮な韮の幾束かが転がり出してきた。私はその一つを手に取り上げた。
「春だなあ。韮の葉がもうこんなに伸びてる。」
私の郷里の備中地方では、よく韮を食べる。真夏になつてあの地方の小村を通りかかる人達は、そこらの農家の垣根だとか、菜園の片隅だとかいつたやうなところに、細かく群り咲いた白い花が、しなしなと風に揺られてゐるのを見かけるだらう。あれが韮なのだ。
海で漁猟するものの網に、鰆があがるころとなると、大地の温みに長い冬の眠から覚めたこの小さな蔬菜は、その扁べつたく、柔かな葉先で、重い畔土のかたまりを押し分けて、毎日のやうに寸を伸して来る。貧しい生活の農民たちが、鰆の白子でも買つて、それを汁の実にしようとする場合には、誰も彼もがいひ合せたやうに、なくてならないものとして、韮の若葉を浮かしに摘み取ることを忘れない。それほどまでにこの葷菜と魚の白子とは、汁にしてよく性が合ひ、味が合ふのだ。
二
むかし、支那の晋代に人並はづれた酒好きで、一度飲むと、三日も酔が醒めないところから、三日僕射といふ綽名を取つた周※[#「豈+おおがい」、第3水準1−94−1]といふ人があつた。この人の子孫に周※[#「偶のつくり+おおがい」、第3水準1−93−92]といふ清貧な隠者がゐた。
この周※[#「偶のつくり+おおがい」、第3水準1−93−92]が思ひ立つて、隠遁生活を送るべく、鍾山の山深く閉籠つたことがあつた。その知人の一人で、幼いころから宰相の器として世間に重んじられてゐた王倹といふのが、ある時※[#「偶のつくり+おおがい」、第3水準1−93−92]にこんなことをきいたものだ
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