「亭主。亭主。無理なことを申すやうだが、この小壺な、これを拙者に譲つてはくれまいか」
 喜平は薄暗い流し元に向つて呼びかけました。爺さんはのつそりと出てきました。
「小壺とおつしやるのは、熬し入れのことでございますか。はい、はい。承知いたしましたとも。お望みなら譲つて進ぜませう」
「譲つてくれるか。それは有難い。幾らにしてくれるな」
「こんながらくたをお譲りいたしたからといつて、別にお鳥目をいただくやうな親爺ぢやございません」
 爺さんは飼猫の背を撫でながら言ひました。
「ぢやと申して、他人の持物を所望しておきながら、その代を払はぬといふ法はあるまいて」
 喜平は笑ひながら爺さんの顔を見ました。爺さんは猫を自分の膝に抱き取りました。
「旦那様が御所望でございましたから、お譲り申したまでのこと、なんぼ売代をやらうとおつしやつたところで、商ひにせぬ品物には、売値のつけやうがございませぬ」
「強情な親爺だな」喜平の声はいくらか高調子になりました。「商ひにせぬ品物に売値はないといふのか。そんなら、たつて買はうとは言ふまい。その代り俺の持物と取り替へつこをするから」
 喜平はかう言つて、腰に下
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