げた胴乱をそこに投げ出しました。胴乱は鼠のやうな恰好をして、爺さんの膝元に転がりました。
「こんなものは要りませぬ」茶店の爺さんは胴乱を投げ返しました。痰《たん》持と見えて、息がはずむたびに鶏のやうに顔を真つ赤にして咳き込みました。「こんなものをいただいては、せつかくお譲り申さうとした親爺の一|分《ぶん》が立ちませぬ」
「いや、渡す。俺の面目にかけてもきつと渡してみせる」
 二人は声をはげまして、負けず劣らず互ひに胴乱を投げ返しました。胴乱の中では散銭が苦しさうに泣き声を立てました。
 先刻から爺さんの膝でころころと咽喉を鳴らしてゐた猫は、びつくりして飛び上りざま流し元の方へ逃げてゆきました。
「これ、これ。親爺どの。止しにさつしやれ。お客様との喧嘩は見つともなからうぜ」
 だしぬけに陽気な笑ひ声が二人の背後から落ちてきました。喜平と爺さんとはびつくりして振りかへりました。そこに突つ立つてゐたのは、旅商人らしい一人の男で、三日にあげず、彦山から槻の木へ通つてゐるので、茶店の爺さんとは見知り越しの仲でした。
 その男は軒さきに荷物を下ろして、ちよつと喜平に会釈しながら、自分はずつと内に入
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