家の者が訪ねてきたので、
「幸ひ京土産の香煎がある。一服立てて進ぜよう」
 坊さんはかう言ひながら、得意さうに香煎のなかへ塩を加減して、それに湯をさして客に進めました。客は一口それに唇をあてると、その瞬間、主人の坊さんが香煎を取り扱ふのに、麦熬しを立てるのと同じ方法をとつたことに気がついたものの、さて笑ひ出すわけにもゆかず、鹹つぱゆさに唇が曲りさうになるのを辛抱しながら、やつとそれを食べ畢《をわ》つたといふ話なのでした。
「鹹つぱいな。坊さんの香煎もこんなだつたかも知れない」
 喜平はこんなことを考へながら、やつと麦熬しを食べてしまひました。
「も一ついかがでございます」
「いや、もう沢山だ」
 喜平は盆の上に茶碗を返しました。爺さんはそれをもつて、薄暗い流し元に入つてゆきました。
 先刻から店先の物蔭でぐつすり昼寝をしてゐた飼猫は、急に起き上つて両脚を蹈《ふ》み伸ばして大きく欠伸《あくび》をしたと思ふと、のそのそと歩き出して、爺さんが蓋をとつたまま置きつぱなしにしておいた熬し入れの小壺に戯れかからうとしました。喜平はすばやく手を延ばして小壺を奪ひとりました。
 見るともなく、喜平の眼
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