きに渇いた眼をやりました。
「亭主、麦熬《むぎこが》しでもできるかい」
「はい、出来立ての熬しがございます。一服立てて進ぜませうか」
「さうか。では早速頼む」
「承知いたしました」
 茶店の爺さんは、やつとこなと上《あが》り框《かまち》から腰を持ち上げました。そして埃だらけの棚から、小出しに粉を入れておくらしい小さな瀬戸焼の壺を取りおろすと、ぶきつちよな手つきで、そのなかから茶碗へと粉を移し取りました。
 立てられた麦熬しの茶碗を手に取ると、喜平はまづそれを鼻さきに持つてゆきました。香ばしい新麦のにほひは眼にも泌むやうでした。喜平は子供の頃から出来立ての熬しのにほひを嗅ぐのが何よりも好きでした。夏が来るといつもそれを思ひ出しました。
 茶碗に箸をつけた喜平は、その塩加減がひどく利き過ぎてゐるのに驚きました。
「鹹《しよ》つぱいな」
 喜平は一箸ごとにさう思ひながら、ちびりちびりと嘗めるやうにしてそれを味はつてゐるうちに、いつぞや主人佐渡守に聞いた、石州産れのある坊さんの失敗話をふと思ひ出しました。この坊さんは、あるとき京都へ上つて土産に香煎《かうせん》を買つて帰りました。折よくそこへ檀
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