つて、亭主の爺さんと肩を並べて上り框に腰を下ろしました。そして煙草入れを取り出して、一服吸ひつけながら、いくらか照れ気味である二人の顔を見較べました。
「親爺どの。これはまたどうしたといふことだ」
茶店の爺さんは、喧嘩のいきさつを詳しく話しました。喜平はまたそれにつけ加へて言ひました。
「もともとこの小壺は、初めに拙者のはうから譲つてくれと切り出したことでもあるし、それにこれから長く自分の持物とするには、相当な価を払つた上でないと、気持が悪いしするから、ぜひ取つてくれといふのだが、……」
「いや、御趣意はよくわかりました」旅商人は大きく頷いて見せました。そして自分もこの場に来合せたからには、黙つてそのままには見過されまいと言つて、あらためて仲裁の口をききました。喜平と茶店の爺さんは、異議なくそれを承知しました。
「お客様がただ貰つたのでは、自分のもののやうな気がしないとおつしやるのだから、この小壺を末長く御自分のものにして持つていただくには、親爺どの、お前も我を折つてこれをお受けするがいいぢやないか」
といつて、旅商人は破けた古畳の上に転がつてゐた胴乱をとつて、爺さんの膝に置きました。爺さんはちよつと気むづかしい顔をしましたが、それでも別に押し返さうともしませんでした。
喜平は、小壺を抱いて外に出ました。高い樹の梢で初蝉が一つ鳴いてゐました。
二
喜平は、薬師峠の一軒茶屋で手に入れた小壺を、主人松井佐渡守の手もとまで差し出しました。
松井佐渡守といへば、細川家の家来のなかでは、聞えた世間知りの老巧者でした。豊臣秀次の没落当時、この関白から内々で金を借りてゐた大名方のうちには、その証文を奉行の石田三成に押へられて、大弱りに弱らされてゐた者も少なくありませんでした。早速返済しなかつたら、その証文は太閤の前に差し出されるかも知れない。万一そんなことにでもなつたら、家の破滅はきまつてゐることでしたから。
細川忠興もまた借手の一人でした。借りた金高は百両でしたが、早速の場合、百両の調達はなかなか容易ではなかつたので、忠興もさすがに弱りきつてゐました。
主人の難儀を見てとつた佐渡守は、かねて好誼の深い徳川家の本多正信を訪ねて、金子《きんす》の借用方を申し込みました。正信はそのことを主人家康の耳に入れました。二人は家康の前に通されました。佐渡守
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