充ちた地の精霊の無邪気と悪戯っ気とです。博識なイソップや、人の悪いアリストファネスが見ていようと、怠け者の小野道風が立っていようと、貧乏詩人の芭蕉庵の主人が聞いていようと、そんな事には少しの頓着もなく、素っ裸の濡れ身のままで柳の枝でぶらんこをしたり、背から腹にかけて砂まみれになったまま、飜斗《もんどり》うって古池に飛び込んだりするのは、この無邪気と悪戯っ気とがさせる業《わざ》です。蛙にはお腹に臍がありません。それだのに臍ばかしか、おまけに良心までも持っているかのように無遠慮に振舞うのです。地の精霊でなくって何うしてあんな悪ふざけと無遠慮とが出来るものでしょう。大きな口と下っ腹とを御覧なさい。地から生れた食意地の張った大食漢《おおものぐい》でなくって、誰があんなものを持っているでしょう。実際あの大きな口と、十二人の子供でも生んだらしい、だぶだぶの下っ腹とは、蛙にとっては掛け替のない宝なのです。性格なのです。本能なのです。霊魂そのものなのです。
蛙のあのすばらしい口と腹とについて、マアク・トエンの面白い短篇小説があります。一寸その荒筋を話してみましょう。
ある所にスマイリイという男があ
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