、いくらか疑ふやうな気振りさへ見えました。
その家といふのは、幸野楳嶺の長男に当る或る日本画家の持物で、貫名海屋の高弟として聞えた谷口靄山が亡くなるまで長く住んでゐた、由緒つきの古い家でした。ある時大阪から上つて来て、此の家で初めて靄山に弟子入りをした男がありました。高名な画家の住居にしては、見すぼらし過ぎる家だなと思ひ乍ら、内心いくらか弟子入りしたのを後悔してゐるとそれに気のつかない靄山は、次の間の物音に耳を立てながら、
「今娘が外から帰つて来たやうぢや。一寸会ってやつて下さい。」
と言ひました。画よりも女が好きだつた大阪者は、急に生きかへつたやうな気持になつて居ずまひを直しながら、挨拶に出て来た婦人に叮嚀にお辞儀をしました。
そして頭をもちあげた拍子にちらと見ると、相手は五十がらみの婆さんだつたので、七十過ぎの靄山にしてみれば、こんな婆さんの娘があつたところで少しも不思議はないと思ひながら、なんだかいやになつて、そこそこに暇をつげて帰つて来たといひます。
靄山の生きてゐた頃から古びて見すぼらしかつた借家ですから、それから二十年も経つた今の穢らしさは想像が出来ませう。天井の節穴
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