をまげて幾らか融通したいと思ひましてね。」
 K氏は著てゐる羽織に一寸眼を落しました。それは真新しい黒羽二重で、しやれた縫紋の剣かたばみがしつとりと光つてゐました。
「旅に出て少し遊び過ぎたので、ふところが寂しくなつたものですから、どこでしたつけ、通りがかりに一軒あたつてみましたが、馴染がないので断られてしまひました。」
「ほう、それはお困りでせうね。」私は旅先でまだ一面識もない自分を訪ねて、こんな事を頼まなければならないK氏の当惑を察しました。で、出来ることなら質屋の通帳を、四通でも、五通でも、ありつたけ取り出して用立てしたくは思ひましたが、不都合な事には、その持合せがなかつたので、私はひどく恐縮してあやまるやうに、
「手元に持合せてゐましたら、喜んで御用立てするのですが、あいにく一通も……」
「お持ちになりませんか。」
「持ちません。本当の事を申すと、質屋に入れる程な金目のものがないんですね。」
「御戯談でせう。」
 K氏は失望したらしい眼で座敷のなかをあちこち見まはしました。その眼にはこんな見すぼらしい家に縮かまつてゐながら、質屋の通帳一つ持たないといふ不都合なことがあるものかと
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