崎紅葉山人を訪ねました時、尾崎氏は書肆からお送りしたこの本を取出して、二度刷は贅澤だと二度ばかりも言つてゐられたのを聞きました。その癖内容の詩については何一つ言つてゐられなかつたのを思ふと、多分尾崎氏は、中の詩は一行も讀まれなかつたものと見えます。恰度その頃、私の親友高安月郊氏が、小説『金字塔』を出版されたことがありました。菊版で、ワツトマンの純白な紙に、富岡鐵齋翁の金字塔といふ字を金箔で捺した清雅な裝幀でしたが、高安氏に會ふと、尾崎氏は同じやうにこの本の裝幀をほめ、
『私もこんなにして本を出してみたい。』
と、まで云つて居られたさうですが、その折も、肝腎な小説の出來榮えについては、何一つ批評がましい事を云はれなかつたので、よく見ると、『金字塔』のふちは少しも切つてなかつたさうです。私達はその當時、それを話し合つて、『多分紅葉山人には詩は解らないのだらう。』といつて笑つたことがありました。
『ゆく春』の※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]畫には、滿谷國四郎氏の作が四枚はいつてゐて、どれだけ本の美觀を添へたか知れません。滿谷氏は同じ中學の先輩で、代數
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