て、瞬く間に版を重ねました。讀書界の評判も、私の豫期してゐた以上によく、中に二三の批評家が、作者に辛らかつたのがある位でした。
その頃詩人として、私達の前に新しい道をきり拓いて進んでいつた人の中では、島崎藤村氏と土井晩翠氏とが最も光つて居りました。島崎氏は、その詩魂の持ち方において、情緒の動き方において、私達の脈搏に相通ずるものがあつて、氏の作品からは暗示を得る機會がたんとありました。實際若菜集を出した頃の島崎氏の感情の姿は、どんなにか華やかな踴躍に滿ちたものでありましたでせう。
私が後年同氏にお目にかゝつた折は、氏は夫人を亡くせられて、幼い子供さん達と一緒に不自由な下宿住ひをしてゐられる頃でしたが、はじめて見る氏の頭髮は殆んど半白で、永い間の氏の勞作と、悲哀とをまざ/\と見るやうで、これが幾年前の若菜集の詩人だらうかと思はれる程でした。その折、島崎氏は几帳面に膝の上に手を置いて、
『その後暫くお目にかゝりませんでしたね。』
といつて、私の顏をしげ/\と瞠められました。私はちよつと驚きました。氏にお目にかゝるのは、その日が初めてでしたのに、『その後暫く………』は何だか少し氣味が惡
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