ちのそも/\から一人ぼつちで、道連れといつては誰一人ありませんでした。道中も全く一人ぼつちでした。詩歌の國の仕事は、自分ひとりでなくてはいけないと思つたからです。
私はこの間、自分で自分の魂をのみ見つめて暮しました。それがためには、仕事と名聞と生活とに便宜の多い帝都の生活から離れて、京都や、大阪や、また郷里やで、今日まで暮して來ました。お蔭で寂しくはあるが、自分自身の生活をたどることが出來たやうです。
この詩集を出版するに當り、川田順、三木羅風、芥川龍之介の三氏は幾度か私を刺激して下すつた。名越國三郎氏は書物の裝幀※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]畫に骨を折つて下すつた。小平初子氏は一部原稿の寫しと口述速記とに力を藉して下さつた。
以上の諸氏に對して心よりお禮を申述べ、併せてこれまでの詩集出版元が、この合集刊行について、快く同意せられたのに對し感謝いたします。
底本:「明治文學全集 58 土井晩翠 薄田泣菫 蒲原有明 集」筑摩書房
1967(昭和42)年4月15日発行
底本の親本:「泣菫詩集」大阪毎日新聞社
1925(大正1
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