まるで自分が生殖不能者ででもあるやうに、なんぞといつてはこの話を引張り出して、笑ひ事の一つにしようとするらしいが、私はそんな輕い解釋で、これを見過してしまふ事は出來ない。もしか私が仙人のやうな羽目になつたとして、ああした白い女の足を見たのでは、どうしても落ちて來さうに思はれる。いや落ちて來さうなのではない、落ちて來た方がよいのだ。實際仙人が落ちて來たのは、何もあの人の道心が淺かつたとか、また今時の教育家のいふ性教育とやらを受けなかつたとかいふ譯ではない。――全く見逃す事の出來ない偉い心の變化なのだ。
 久米の仙人は空を飛ぶものの用意として、雀のやうに質朴な考へを持たなければならない事も知つてゐた。鶲《ひたき》のやうに獨りぼつちで居なければならない事も知つてゐた。鷦鷯《みそさざい》のやうに鹽斷ちをしなければならない事を知つてゐた。それからまた雲雀のやうに唯もう高いところに心を繋がなければならない事も知つてゐた。――かういふ事は何もかもそつくり知つてゐたには相違ないが、(といふのになんの不思議があらう、知つてゐたからこそ空も飛べたのだ。)その知つてゐたのは、空でも飛ばうといふものは、さうし
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