つて來た。あの親爺の名はなんとかいつた。確かニコライ・ペトロヰツチ・キルザノフ―ああさうだ、家は段々と左前になつて來ようとも、それは時の廻合せだと諦め、なんぞと言つては亡くなつた女房の事を考へ出し、唯もう小兒のやうにたあいもなく戀しがつてみたり、さうかと思へば、バザロフの言つたやうに、四十四にもなつて一家の主人が大絃琴でシウベルトの曲を彈いてみたりする、あのニコライ―なんといふ事はない、かうして喜光寺の屋根を見てゐると、初めてあのニコライ親爺に馴染んだ折そつくりの氣持が湧いて來る。
 からりと晴れきつた空に、雲雀が一つ鳴いてゐる。滑かな歌は雫のやうに引切りなしに野に落ちて來る。朽ちてゆく『時』の端々を取逃すまいとするかのやうに、刹那々々に一杯の心持を吹き込めるものと見える。ほんたうに雲雀といへば、いつの世にも現實の謠ひ人で、その歌ときては、また餘裕の無い心と、息も繼げぬ急調とに充ちてゐる。
 …………いつであつたか、あのニコライ親爺が、弟のペバルに向つて、かう言つてこぼした事がある。
「私達はもう時代に後れてゐる。息子といへばずつと先へ行き過ぎてしまつて、どうやらお互に了解しかねるやう
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