えば、馬は何物にか躓《つまず》きて前足を折る。騎《の》るわれは鬣《たてがみ》をさかに扱《こ》いて前にのめる。戞《かつ》と打つは石の上と心得しに、われより先に斃《たお》れたる人の鎧《よろい》の袖なり」
「あぶない!」と老人は眼の前の事の如くに叫ぶ。
「あぶなきはわが上ならず。われより先に倒れたるランスロットの事なり……」
「倒れたるはランスロットか」と妹は魂《たま》消《ぎ》ゆるほどの声に、椅子の端《はじ》を握る。椅子の足は折れたるにあらず。
「橋の袂《たもと》の柳の裏《うち》に、人住むとしも見えぬ庵室《あんしつ》あるを、試みに敲けば、世を逃《のが》れたる隠士の居《きょ》なり。幸いと冷たき人を担《かつ》ぎ入るる。兜《かぶと》を脱げば眼さえ氷りて……」
「薬を掘り、草を煮るは隠士の常なり。ランスロットを蘇《よみがえ》してか」と父は話し半ばに我句を投げ入るる。
「よみ返しはしたれ。よみにある人と択《えら》ぶ所はあらず。われに帰りたるランスロットはまことのわれに帰りたるにあらず。魔に襲われて夢に物いう人の如く、あらぬ事のみ口走る。あるときは罪々と叫び、あるときは王妃――ギニヴィア――シャロットと
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