眉《まゆ》を張る。女は「あな」とのみ髪に挿《さ》す花の色を顫《ふる》わす。
「二十余人の敵と渡り合えるうち、何者かの槍《やり》を受け損じてか、鎧《よろい》の胴を二寸|下《さが》りて、左の股《また》に創《きず》を負う……」
「深き創か」と女は片唾《かたず》を呑んで、懸念の眼を※[#「目+爭」、第3水準1−88−85]《みは》る。
「鞍《くら》に堪えぬほどにはあらず。夏の日の暮れがたきに暮れて、蒼《あお》き夕《ゆうべ》を草深き原のみ行けば、馬の蹄《ひづめ》は露に濡《ぬ》れたり。――二人は一言《ひとこと》も交《か》わさぬ。ランスロットの何の思案に沈めるかは知らず、われは昼の試合のまたあるまじき派手やかさを偲《しの》ぶ。風渡る梢《こずえ》もなければ馬の沓《くつ》の地を鳴らす音のみ高し。――路は分れて二筋となる」
「左へ切ればここまで十|哩《マイル》じゃ」と老人が物知り顔にいう。
「ランスロットは馬の頭《かしら》を右へ立て直す」
「右? 右はシャロットへの本街道、十五哩は確かにあろう」これも老人の説明である。
「そのシャロットの方《かた》へ――後《あと》より呼ぶわれを顧みもせで轡《くつわ》を鳴ら
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