、傷負える人の傷ありと心付かぬ時ほど悔《くい》の甚《はなはだ》しきはあらず。聖徒に向って鞭《むち》を加えたる非の恐しきは、鞭《むちう》てるものの身に跳《は》ね返る罰なきに、自《みずか》らとその非を悔いたればなり。われを疑うアーサーの前に恥ずる心は、疑わぬアーサーの前に、わが罪を心のうちに鳴らすが如く痛からず。ギニヴィアは悚然《しょうぜん》として骨に徹する寒さを知る。
「人の身の上はわが上とこそ思え。人恋わぬ昔は知らず、嫁《とつ》ぎてより幾夜か経たる。赤き袖の主のランスロットを思う事は、御身《おんみ》のわれを思う如くなるべし。贈り物あらば、われも十日を、二十日《はつか》を、帰るを、忘るべきに、罵《のの》しるは卑《いや》し」とアーサーは王妃の方《かた》を見て不審の顔付である。
「美しき少女[#「美しき少女」に傍点]!」とギニヴィアは三たびエレーンの名を繰り返す。このたびは鋭どき声にあらず。去りとては憐《あわれ》を寄せたりとも見えず。
アーサーは椅子に倚る身を半ば回《めぐ》らしていう。「御身とわれと始めて逢える昔を知るか。丈《じょう》に余る石の十字を深く地に埋《うず》めたるに、蔦《つた》這
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