》えたるを、寒き息にて吹き枯らすは口惜し。ギニヴィアはまた口を開く。
「後《おく》れて行くものは後れて帰る掟《おきて》か」といい添えて片頬《かたほ》に笑う。女の笑うときは危うい。
「後れたるは掟ならぬ恋の掟なるべし」とアーサーも穏かに笑う。アーサーの笑にも特別の意味がある。
 恋という字の耳に響くとき、ギニヴィアの胸は、錐《きり》に刺されし痛《いたみ》を受けて、すわやと躍り上る。耳の裏には颯《さ》と音がして熱き血を注《さ》す。アーサーは知らぬ顔である。
「あの袖《そで》の主こそ美しからん。……」
「あの袖とは? 袖の主とは? 美しからんとは?」とギニヴィアの呼吸ははずんでいる。
「白き挿毛《さしげ》に、赤き鉢巻ぞ。さる人の贈り物とは見たれ。繋がるるも道理じゃ」とアーサーはまたからからと笑う。
「主の名は?」
「名は知らぬ。ただ美しき故に美しき少女[#「美しき少女」に傍点]というと聞く。過ぐる十日を繋がれて、残る幾《いく》日《ひ》を繋がるる身は果報なり。カメロットに足は向くまじ」
「美しき少女[#「美しき少女」に傍点]! 美しき少女[#「美しき少女」に傍点]!」と続け様に叫んでギニヴィア
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